□ 褪せた光のタカラモノ 「うん……大丈夫、だから。ねぇ?」 彼は答えない、答えることができない。 「ダメだ、なんて……キミは、僕のためにたくさんのことをしてくれたじゃないか」 けれど。 俺は、それすらも。 「ダメだよ……キミはまだ生きなきゃ。死んじゃ、ダメだ」 声が、響く。 ツヨイ声。 彼は出会ったとき、椅子の上でどこか宙をぼんやりと見つめていた。 どうやって、そんな彼と会話が成り立ったのか。 ……たぶん、自分も同じような状態だったからだろう。 自分以外に、こんな虚無を表せるやつがいるとは、思わなかったから。 「ダレ?」 声ではなく、『音』。 別にかまわない。 自分も、『声』など出せないから。 「ふぅん……そっか。旅の人、なんだ」 「ねぇ、僕、ヘン?」 「ずっとここから動けないんだ」 「お父さんは生まれたときからいないし、お母さんもこの間、階段から落ちた。それから動かない。どうしようもできないから、放っておいてる」 彼は虚無の瞳の中に、うっすらと悲しみを表した。 ナンダ。 コノこハ。 おれヨリヨッポドにんげんラシイ。 ああ、ソウダ。 おれハ、にんげんデスラナイ。 「どうしたの?」 彼はぼんやりとしたまま、ほとんど無意識のうちに、へたりこむ自分へ手をさしのべていた。 単純に、自分は疲れたからここへ寄っただけだった。 食べ物も、飲み物も、睡眠すら必要ではないが、気休めぐらいにはなるだろうと思って。 食料がこんなボロボロの、つつけば砂とチリになりそうな家にあるとは思っていなかったから、単に寝床を探していただけで。 けれど、彼がいた。 ……さすがに、彼を殺して食べようとは思わなかった。 それぐらいの理性はあったから。 自分はそれからしばらく、そこで暮らすことにした。 気に入ったとか、便利とか、そういうわけじゃない。 蜘蛛の巣ははり放題だし、家の中にまで雑草が生えているし、森のど真ん中だし、死体は放っておかれているし。 なんで。 俺はこんなところにいるんだろう? 「……寂しいの」 彼がつぶやいた。 自分はカビだらけで、もうまともに使えそうもないバネの飛び出したベッドに座ったまま、彼を見た。 「大切な人がいなくなって」 「全部、奪われて」 自分はそのとき、何も考えずにこくりと頷いた、と思う。 「じゃあ、一緒、だね」 彼がそう言ったことを、はっきりと覚えているから。 彼の母親を家の隣に埋めて、彼の家をほんの少し、頑丈にしてやった。 二階はもう完全に腐っていたから、消した。 一階が二階の重みでつぶされる心配はもうしなくていい。 自分は、例の壊れたベッドが定位置になった。 「ねぇ、旅をしてた、んだよね?」 「お話、してよ」 彼は二時間に一回くらい、こうして自分に旅の話を聞かせてとねだってきた。 自分は最初こそ、単にこういう町があったと素っ気なく答えるばかりだった。 けれど、だんだんと『彼ら』との思い出がまた自分の頭で渦巻き始めて、次第に饒舌になっていった。 そんな自分の話を、彼はとても楽しげに聞いていた。 「君は、たくさんの場所へいったんだね」 「僕は、この家の中しか、家から見た風景しか知らない」 「出してもらえなかったから、そして、今はもう出られないから」 自分と彼は、本当によく似ていたと思う。 ただ、確実に違うのは……。 彼には終わりがあって、自分には終わりがなかったこと。 ……彼の終わりが、すぐそこに来ていた。 彼はもうしゃべらない。 小さく、細く、息をしているだけ。 うっすらと開かれた目は、もう自分を映してはいない。 アア、マタカ 「……」 自分はそのまま、彼を壊れたベッドに寝かせて出ていくつもりだった。 けれど、最後の最後に。 ゴトリ 彼の眠るベッドから、銀色に光る何かが転がり落ちてきた。 自分は思わず、それを手に取ってしまったはず。 そして、彼の下からそれを持ち去った。 どこまでもどこまでも、鮮やかな銀に輝く一丁の拳銃。 どうして彼がこんなものを持っていたのか、今でもわからない。 でも、彼はあんな……腐りかけた体で、いつ死んでしまうかも分からない体で。 この銃を使って、死のうとはしなかった。 それだけは、わかった。 だから、これは絶対に使わない。 これは、人を生かすための銃だと思いたい。 もともとは人の命を奪うものだけれど、彼はこれを持って、生きていた。 死を選ばなければ、こんなものを持っていても、大丈夫。 自分はこれを使っても死にはしない。 そういう定めだから。 生き続けなければならない。 なんのため? 『……ねぇ、あの子たちを、また―――――』 優しい、優しい、どこまでも、底なしに優しいあいつの声。 この世界を守るため、と言って、自分の命を削るあいつの声。 『ティカを、頼むよ』 ああ、いいさ。 あいつらがそばにいるのなら。 俺はこれを使うことはしない。 けれど、人を殺すことはいとわない。 矛盾だらけ、矛盾こそ、この俺の存在意味。 矛盾してなければ、俺の存在は無意味。 人を生かしたい、だから殺す。 最大の矛盾を抱えて、俺はあいつの重荷を背負う。 『―――――サビシイノ―――――』 寂しいよ、けれど笑っていよう。 だれか気づくか、あいつは気づくか? さぁ、新しい人生だ。 矛盾だらけで、意味を持つ、俺の人生。 「…………」 はっとした。なんだ今の。というか。 「……昔すぎる。何年前だオイ」 俺は思わず頭を抱えて、ごろごろとそこを転がった。 が、転がった方向がまずかったのか、俺の体は一気に加速し、宙へ放り出された。 「は」 そして俺は思い出した。 俺は、家の屋根の上で寝ていた。 「っぎゃあああああああああああああああああああ!!!!?」 「うるっせぇええんだよ不審者ぁっ!!?」 ドゥッ、と勢いよく地面に激突。見事な大穴を開け、俺はぴくぴくと痙攣していた。 「おい、なにしてんだお前」 頭上から声がかけられる。俺はがばっと起き上がって穴から飛び出し、鼻で笑いながらこういった。 「いや別に? 頭が唐突に痛くなって寝返り打ったら思わず屋根からダイブとかそんな馬鹿なマネ」 「へぇ、ステントラさんバカですね」 「ストレート! もっとオブラートに包んでよ!?」 「へぇ、ステントラさん正直者ですね。自分からそういうダメっぷりを自慢げに話すなんて、イタイことこの上ないですよ」 「……それ、ものっそい薄いオブラートダネ」 わざとらしく泣き真似をする俺を見下ろして、二人の同居人は軽くため息をついて、その場を離れて……いかなかった。 普段、こういう場面を見たら切り捨てるだけ切り捨てて、さっさと放置しにかかるはずの若草色の髪をした青年は、珍しく、困惑したような表情を浮かべて俺を見つめる。 「……お前さ、ひょっとして本気で泣いてた?」 「はあ?」 「ちょっと鼻声なんですよー。ゴーグルがあるせいで、目までは見えませんけれど〜」 え、嘘。マジで!? と挙動不審になりながら、俺はゴーグルの中で両目を何度も瞬かせる。瞬間、ぼろっと懐かしい感触が、頬を伝った。 「っぎゃああああああああああマジで泣いてたの俺!? いやん小っ恥ずかしい!」 「口調がキモいわっ!!! ったく、洗うんならとっとと家の中で顔洗ってこい、俺たち、まだ外にいるから」 「へ?」 「ふふーん、興味はありますけど、準備ができるまで突撃はしないでおくのですよ〜」 そう言って、今度こそ二人はその場を離れていった。家の裏手でシーツや服がたなびいているのが見える。どうやら、二人で洗濯物を干していたらしい。 「……気ぃ、使われたなー」 俺は、どんなときでもこのゴーグルを外したことはないし、外す気もない。むろん、あいつらの前でも。ただ、今回ばかりは少し……いや、浄化の術使えば一発といえば一発なんだけど……。 「お言葉に甘えて、顔、洗ってきますかね」 俺はゆっくりと穴から這い上がって、その反動で、思わず空を見上げた。 あの頃は、見上げる余裕などこれっぽっちもなかったが……。 きっと今のような色をしていたんだと思う。 視界が一瞬だけ歪んで、また、元に戻った。 |