カゲナシ*横町 - アルシオの竪琴
□ アルシオの竪琴 □


第一部  旅人と逃亡者

ピィー ピィーと 笛が鳴る
シャンシャラ シャララと 鈴の音響き
歌い踊るは 妖精か
―――――いいえ あれは 人の子
美しく 醜く 気高く 卑しく
複雑な その存在・・・・


◆  ◇  ◆  ◇  ◆


 だだっ広い草原を、一頭の馬と二人の人間がゆっくり横切っていた。馬の背には荷物が満載され、疲れ切っているのか、時折よろめきかけるのを人間が慌てて支えている。

「姉ちゃん、バークもそろそろ限界みたいだぜ」
「そうね・・・・私も、足がパンパンで。昨日の朝からほとんど休まないで歩いてきたから」
「うう、あの昨日すれ違ったじいさん、耄碌(もうろく)してたんじゃねーのか。『小一時間歩けば町がある』なんて・・・・丸一日かかってんじゃねーか!」
「リック、そんなこと言わないの。まぁ、ホラを吹かれたかなーとは、私も思うけれど」
「思うんじゃなくってさ! 実際ホラ吹かれたんだよ! ったく姉ちゃんって、お人好しすぎるなホント」
「お人好しだなんて〜」
「・・・・サリア姉ちゃん、俺は今、別に褒めたワケじゃねーかんな」
「はいはい〜」

 十二、三歳程度のつり目の少年リックは、ぽやーっとしたまま歩く度、くるくると髪の先が跳ねる女性サリアを見上げ、盛大なため息をついた。
 顔つきから性格まで、ほとんど共通点のないこの二人は、西の荒れ地で生活していた舞楽と伝統を重んじる部族の一員であった。二人はある理由から、故郷を去り、相棒である馬のバークと興行しながら各地を巡っている。
年若いながらも、サリアは舞の名手、リックは笛の名手。
 二人だけとはいえ、人通りの多い道などで半日その腕を披露してみれば、大体一週間ほどは切り詰めた生活ができる程度の収入が入ってくる。それを繰り返し、旅の資金が貯まれば別の町へ、別の町へと移動してきていた。

「・・・・あら?」
「どーしたんだよ姉ちゃん」
「おじいさん、完全に嘘をついていたわけじゃないみたい」
「え、じゃあ」

 リックは先を歩くサリアの背を注視し、次の言葉を待った。サリアは立ち止まり、スッと背筋を伸ばす。両手が徐々に広がり、まるで風をすべて受け止めようとしているかのような格好になった。
 リックとバークがサリアの隣に並んだとき、サリアはようやく歩き出した。その顔にはありありと、楽しみでしかたがない、と書かれているように見えて。

「人混みの匂いと、喧騒。うん、間違いない。きっとあの丘を越えれば、町があるわ。そして、日が暮れるまでには着ける」
「おっしゃ! バーク聞いたか〜、もうすぐこの重しから解放されるぞ!」

 ブルル!と嬉しそうにいななくバークの首を、ポンポンと軽く叩きながら、リックはサリアを見上げた。

「ま、完全に嘘じゃないのはわかったけどさ〜。距離をいい加減にされちゃ困るよな。体力の配分もきちんと考えなきゃならないっつーのに」
「そうね。でも、もうすぐ町があるよって言われて、舞い上がってしまった私達も、私達よ」
「・・・・ああ。でも、舞い上がりたくもなるだろ?」

 二人と一頭は、草原を抜け、丘を登り、それを見下ろした。

「やっぱ、あれだよな」
「ええ。なんとか着いたわね」

 芸術を極める者たちの集う町、オリティア。



「はぁ、はぁ・・・・まけた、か?」

 砂埃にまみれた茶色のマントを、自身の体にきつくまとわせていた青年は深呼吸をすると、今度は心底疲れたとでもいうようにため息をついた。

「まったく、面倒極まりない」
「どこだ!? おい、もっと探せ!」
「あちゃあ」

 青年はぺし、と平手で軽く自分の額を叩くと、フードを被りまた裏路地を走り出した。今はまだ薄暗い程度だが、もう二、三時間もすればほとんど暗闇と変わらなくなる。

「これからどうしようかなぁ・・・・」



 翌日、手頃な宿で一夜を明かしたサリアとリックは、興行前の腹ごしらえをしようと宿の隣にある喫茶店に向かっていた。

「リックはきちんと食べなきゃね? 私は舞わなきゃいけないから、あんまり食べれないけど」
「いや、元々姉ちゃん少食じゃん。これ以上減らしたら小鳥のエサ並みにしかならないって。フツーに食べようぜ、フツーに!」
「そう?」

 天気もよかったので、店内ではなく屋外の席に座ってみた。周囲に置かれた観葉植物や、日陰を作るため店から張り出されている布のおかげで、実に快適な空間となっていた。
 店員に料理の注文をした後、しばしその空間でまったりとしていた。その間に、パスタやサラダ、スープに焼きたてのパンなどが次々運ばれてきて、リックはもう待ちきれないという風に手を伸ばし、ガツガツと食事を始めた。

「ん〜ウマイッ! 姉ちゃん、このスープ絶品!」
「パスタもなかなかおいしいわよ。ふふ、あそこのお宿にして正解だったわね」
「おおお〜肉肉肉〜!」
「あんまりがっつくと、喉に詰まらせるわよ?」
「んっぐ・・・・平気だよ、姉ちゃん。俺って一度でも喉つまりしたことあったか?」

 その問いに、サリアは小首をかしげて過去の記憶をたぐり寄せ始める。

「ああ、確かに、リックがものを喉に詰まらせたと言えば、大人のこぶしくらい大きいピチカの実を一口で食べようとしたときくらいよね」
「・・・・姉ちゃん、そのこともう忘れろよ。ていうかなんでまだ覚えてるの」

 一気に顔を蒼白にさせ、リックは今まさに口の中に押し込もうとしていたロールパンを、二秒ほど考えた後に結局ちぎって食べることにした。



 ガチャガチャガチャガチャッ!

「あの、やっぱりそういう物騒なモノを出すの、やめませんか?」

 そうにこやかに提案するのは、首筋が隠れる程度まで金髪を伸ばした、あのマントの青年。対して、その正面に立っている『提案された』側の人間は・・・・。

「うるせぇっ! テメェがとっととアレを出せば済むことなんだよ。死にたくないなら寄越せ!」
「ですから、僕はこれをあなた方に渡したくもありませんし、死にたくもありません。何度言えばわかっていただけるのでしょうか?」

 青年はふぅとため息をつくと、マントの中から丈夫そうななめし革の肩掛け鞄を一瞬、ちらつかせた。それを見たごろつき風の男たちは、各々手に持っていた剣を構え直す。

「馬鹿にしてんな? まぁ、ここまで追い詰めたんだから後はどうにでもなるがな・・・・それをぶんどってテメェをここから叩き落とせばいいだけだ」
「ひどいですね。僕が嫌だと言っていることを、二つとも無理矢理押し通すつもりですか」

 しゃべりながら、青年はじりじりと男たちと距離をとろうと後退する。と、そこでかかとがカツ、と何かにあたった。後ろをちらりと見てみれば、十センチ程度の段差が彼の邪魔をしていて、その段差の向こうは何もない。強いて言うなら、視線よりずっと下の方に、まばらに人が歩く通りが見えた。
 ここは、とある建物の屋上。

「うーん、まずいといえば、まずいですか」

 苦笑する青年だが、状況はまずいどころではない。このまま下がり続ければ、朝っぱらから路上に真っ赤で歪(いびつ)な花を咲かせることになるし、かといって諦めれば男たちの剣の餌食である。どっちに転んでも、彼は死ぬことに―――。

「あ」
「うっし。これでガキみてぇな追いかけっこは終いだなぁ・・・・やるぞ」

 青年が眼下にあるものを見つけたのと、男たちが青年に殺到したのは同時だった。青年は男たちをちらりと見て、ふっと微笑み。

躊躇いもなく、その身を屋上から投げ出した。
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