カゲナシ*横町 - アルシオの竪琴
□ アルシオの竪琴 □


第二部  出会いと衝撃

「んあ?」
「・・・・なにか、喧嘩でもしているのでしょうか?」

 のんびり食事中の似てない姉弟は、どこからかかすかに、男の罵声が聞こえるのに気づいていた。もっとも、彼らの聴力は常人を上回っているので、彼ら以外にこれに気づいている者はいない。

「近く、だよな? でもここら辺は裏路地も少ないし・・・・っていうか、路地からじゃねぇし。上か?」
「上って」

 「この建物の?」と言いかけたサリアは、次の瞬間目を丸くして、口元を手で隠した。リックに至っては、サリアの残したパスタを片づけようとフォークを伸ばしかけた格好で硬直。
 何せ、人が空から降ってきたのだから。
 その人は、日陰を作っていた布の屋根を巻き込み、そのままサリアとリックのいたテーブルに激突。辺りには食べかけの料理がまき散らされ、ひどいことになっていた。

「あ、いたた・・・・さすがに、これじゃあ僕の体を支えてはくれなかったか。というか布一枚だけだったんだねぇ」

 足やら天板やらがそれぞれ真っ二つのテーブルから、スープとパスタソースまみれで起き上がった青年は、「ん?」と首をかしげて辺りを見回した。
 右手には、大きな目をことさら大きく開いてぼう然としている少年、左手には、あらあらと言いながらハンカチを差し出してくる長髪の女性。正面には、何事かと集まってきた野次馬たち。

「・・・・ここまですれば、彼らも追っては来ないかな」

 「あの」「その」と声をかけようとする女性サリアをことごとく無視して、ぼそぼそとつぶやく青年だったが、唐突に頬を優しくハンカチで拭われて振り返った。

「すみません。何をお聞きしても答えてくださらなかったので」

 サリアはにこにこと笑いながら、青年の髪やマントにまでかかってしまっているスープを丁寧に拭いていった。しばし呆然としていた青年だったが、はっと我に返ってハンカチを押し返す。

「あら?」
「お気遣い、ありがとうございます。しかし、私は少々面倒なものに追われておりますので、私とあまり関わり合いには―――」
「お前なんてーことしてくれんだよぉっっっ!?」

 そこでようやく、思考が事態に追いついたリックの絶叫が響き渡った。サリアと青年はぽかん、とした表情でリックを見つめる。

「おいお前! いきなりどこからともなく降ってきたと思ったら、俺たちの朝飯の邪魔しやがってぇ―――っ! テーブルまでぐっちゃぐちゃだろーが!」
「あ、す、すみません・・・・せっぱ詰まっていたので」

 リックに怒鳴られたとたん、青年は縮こまって頭を下げ始める。そんな青年を睨みつけたまま、リックは壊れたテーブルや食器を集め始める。

「せっぱ詰まって、どーやってお空から降ってくるっつーんだよ?」
「いえ、まぁ・・・・命に関わることですので、ねぇ」

 そういうなり、青年はぱっと立ち上がると、マントから料理の欠片をふるい落とし、サリア、リック、そして未だ立ち去ろうとしない野次馬たちに向かって、優雅に一礼した。

「みなさま、騒ぎたててしまって申し訳ありません。少年も、せっかくの家族との朝食を邪魔してしまって、本当にごめんなさい。けれど、私はそろそろ行かなければ」

 そこで青年の言葉が止まった。サリアは首をかしげ、なにやら不穏な空気が自分たちの周りに近づいていることに気づき、口元を片手で覆った。一人気づかぬリックは、まだせっせと食器の欠片を拾い集めている。

「リック、リック!」
「なんだよ、姉ちゃんもあんたもちゃんとこの後始末・・・・」
「まだここにいやがった! おい、捕まえろっ!」
「はぁ・・・・しつこいにも程がある」

 青年は怒鳴り声が聞こえてきた方を眺めながら、呆れたようにつぶやいた。サリアとリックも驚いてその方向を見つめる。一瞬遅れて、野次馬たちが悲鳴を上げながらぞろぞろと道を空け始めた。
 そこからどっとなだれ込んできたのは、剣やら棍棒やらと物騒なものを手に構えている、血走った目をした男たち。サリアは思わず、小さな悲鳴を漏らした。

「てめぇ、仲間が―――」

 男の一人が鼻息荒く、青年の後ろで呆然としていたサリアとリックを睨め付ける。はっとした様子で青年が振り返り、苦虫を噛みつぶしたような表情をして・・・・。

「すみません!」
「え」「おわっ」

 右手にサリアを、左手にリックを掴み、三人そろってその場から逃走を始めた。
 男たちの罵声を背に、ただ本能と引っ張り続ける青年につれられて走り続けていた二人だったが、はっとリックの方が先に我に返った。

「って待てぇオイッ!? なんで無関係な俺たちまで巻き込ま」
「本っっっっ当に申し訳ありません。けれど、二人の格好でしたら、ちょっと厄介なことに」
「か、格好、ですか?」

 サリアは困惑した表情を浮かべ、自分の服装を見下ろす。朝食を食べて少し休憩をしたら、すぐ通りで芸を見せる予定だったので、舞手の衣装の上にローブや巻スカートをしただけのものだった。リックは七分丈のシャツとズボンの上に革のベストといった地味なものだが、背負ったリュートや腰のベルトに挟んでいる笛などで、一目で旅芸人と分かる。
 さて、と二人は首をかしげた。旅芸人の格好で、何が問題なのだろうか。
 と、そこで青年は勢いよく路地裏に飛び込んだ。そのまま、薄暗く細い・・・・道と言うよりは単なる建物同士の隙間を、これでもかと言うほど曲がりまくりながら走り、ようやく足を止めた。

「ええっと・・・・まぁ、私が持っているものに、問題がありまして」

 うーんと難しげな表情をして首をかしげる青年だったが、ふと返事がないことに気づき、慌てて振り返る。二人はというと。

「はぁ、ふぅ・・・・はぁー」
「ぜっ、うぅ、ふはーっ」

 ものすごい勢いで肩を上下させ、真っ赤な顔をして深呼吸していた。と、サリアの方がふらりとその場に崩れ落ちる。

「わわっ」

 青年が支えるも、ほとんど意識はもうろうとしている状態。うろたえる青年をちらっと眺め、リックは最後に大きく息を吸い込み、息を整えた。

「・・・・さぁて、なんで俺や姉ちゃんまで、あんな狂ったよーなヤツらに追いかけられなきゃならねーんだ? ん?」
「え、えっと、ですね・・・・」

 青年は、失神寸前のサリアを腕に抱いたまま、笑顔で迫るリックの迫力に本気で恐怖していた。男たちと対峙したときとは比べられないほど、情けない顔になっている。
 ・・・・その後、青年からことの次第を聞いたリックは、思わず天を仰いだ。



 その後、意識を取り戻したサリアに、青年は再度己の身の上と、先ほどの男たちの目的を語った。そのときに、二人も青年へ簡単な自己紹介を済ませる。

「ええーと、まず、貴方のお名前は」
「アルシオです。貴女がサリアさんで、君がリックくん」
「おうよ」
「はい。それで、あの怖い男の人たちの目的が」
「私の運ぶ、この竪琴なのです。彼らはどうも、この竪琴に宿っている不思議な力がめあてのようでして、もう町三つ分もの距離を追い回してきているんですよ」
「不思議な力?」

 サリアは目を見開き、リックは馬鹿馬鹿しいとでもいうように鼻を鳴らした。アルシオは苦笑しつつ、革袋からその竪琴を取り出す。
 ・・・・美しい、とても美しい竪琴だった。水晶のような、僅かに青みがかった石を磨き上げられて形作られた胴に、銀色の蔓模様が彫られている。ピンと張った弦は金色に輝き、楽器の扱いに長けるリックは思わず顔をしかめた。

「なんつーか・・・・実技用じゃなくって、観賞用に見えるんだけど」
「でも、一応演奏できるんですよ。見た目を裏切らない音色だそうです」

 くすっと笑って、アルシオは竪琴の胴を撫でた。ふと顔を上げて、竪琴を取り出してからずっと黙り込んでいるサリアを見る。

「サリアさん?」

 サリアは信じられない、というよりも、半ば放心しているような表情で、竪琴を凝視していた。そろそろと竪琴に手を伸ばし、ほっそりとした人差し指で蔓模様をなぞる。

「ああ・・・・」

 こんなところで、とかすれるような声でつぶやき、その目に涙を浮かべ始める。たじろぐアルシオは放っておいて、リックはそっとサリアの手を握った。

「姉ちゃん・・・・?」
「本当に、なんて、芸術の町で、こんな・・・・この模様は」

 そして、ことりと手の力を抜き、僅かに首をかしげる。その一瞬後に、サリアは勢いよく顔を上げ、驚いた表情で硬直しているアルシオを見つめた。その彼女の表情もまた、驚愕。

「我が一族の竪琴、なぜ、あなたが」

 リックの顔からも、感情という感情が抜け落ちた。能面のような顔で、ゆっくりとアルシオを振り返る。

「そうなのか? それ、俺たちの、荒れ地の部族のもんだったのか?」
「・・・・あなた方は、荒れ地の・・・・生き残り?」

 裏路地を漂う空気が、彼らを取り巻く時間が、一瞬、止まった。



 三人を見失ってしまった男たちは、その身を恐怖に震わせながら、頭目の待つ裏の酒場へ戻っていった。
 昼間の表通りとは全く異なる雰囲気の裏通り。怪しげな闇の空気を漂わせるそこを足早に通り抜け、目的の酒場の扉を素早くくぐる。頭目は、カウンター席のど真ん中で足を組み、目をつむって待っていた。男たちの動悸が速まる。

「竪琴は」

 静かな声で問われて、男たちの中でも代表格の者が、ゆっくりと言葉が震えぬよう答えた。

「奪えません、でした。アルシオも、逃げて・・・・仲間、らしいヤツも、いて」
「仲間?」
「は、はい・・・・踊り子みたいな女と、リュートを背負ったガキで、旅芸人って感じの、二人組でした」
「・・・・ほう」

 頭目は目を開き、のそりと緩慢な動作で席を立った。ガクガクと膝がおもしろいくらい揺れている男たちを、面倒くさそうに一瞥し、酒場を出る。

「面倒だ、本当に、面倒だ。俺が出る。もういい。お前ら」

 ぶつ切りの言葉を男たちに浴びせ、頭目は裏通りの闇の中へと消えた。
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