カゲナシ*横町 - 小紅便り
□ 小紅便り □


第一部  ソライロ

 周りは白かった。白い、白い風景が、どこまでも続いている。
 そんなところに、ポツ、とシミのようなものが浮き出てきた。それはあっという間にふくらんで、細くなって、伸び上がって。
 一本の、桜。
 うわぁん、あぁー……。ひっく。
 鳴き声が聞こえてくる。いつの間にか、その桜の下で、幼い少女がうずくまっていた。彼女の目の前、桜の木の根元に、真っ黒で長方形の形をした石がたてられている。

「ああ、なんてこったい」

 また突然、別の声が聞こえてきた。若い男の、言葉のわりに落ちつている声。

「間に合わなかった……。これじゃあ、もう渡せないな。俺ももうこれで引退かね」

 少女が泣き止んだ。ふらふらと顔を上げて、声の方を見る。
 薄桃色の花びらが舞い散るなか、鮮やかな空色の髪がなびく。

「お?」

 ありえない色の髪をしたその男は、くるりとうずくまっている少女の方を向いた。男の驚きに見開かれた目と、少女の泣きはらした目が、ぴたりと合わさる。

「……こりゃあ、まぁ。なるほどな」

 男はバサバサと自身の髪をかき回して、難しげな表情を浮かべていたが、一つ大きなため息をつくと、少女の方へ大股で近づいた。少女は近づいてくる男を、ポカンとした顔で見上げている。

「嬢ちゃん、お兄さんは、本当はここに眠ってる人に届け物をしに来たんだが、もう渡せないみたいだし、代わりに君が……」

 そういって、男は肩から提げていた焦げ茶色の革鞄に手をかけた。と、そこで男の表情が曇る。

「早いっつーの」

 少女は目を見開いた。みるみるうちに、男の姿が透け始めたのだ。男が開けようとしている鞄のふたは、びくともしない。

「イヤッ、行かないで! 一人、イヤ!」
「おいおい、知らない人に抱きついちゃいかんだろ」

 言いつつ、男は泣きじゃくる少女の頭をわしわしと撫でた。真っ白な手袋をした、その大きな手は、少女の黒髪がうっすらと透けて見えるほど消えかかっている。

「いーやぁ!」
「しょうがないな……。あー、まぁ、次の『空』に任せるしかねぇか」

 ぼそぼそと何かつぶやいて、男はふと、視界を通り過ぎていくうす紅色を見つめた。
 泣く少女、光景に見入る男、舞い散る桜……。それ以外は何もない、ただ真っ白なこの空間。

「嬢ちゃん、一つ約束事をしようか。まぁ叶えるのは俺だけど、俺の後継者も使うことになるだろうな」
「やく、そく?」
「ああ」

 男はにこりと笑って、その『約束』を告げた。
 まるで空気のように姿の薄くなった男が、ゆっくりと丁寧に語っても、少々曖昧で、少女にはいまいちピンとこなかった。しかし、また会ってくれるということだけはなんとなく理解したので、素直に頷いておく。

「よし、いい子だ。ほれ、あっちの光が見えるか? あそこが嬢ちゃんの帰るところだよ」
「お兄、さんはぁ?」
「俺は別のトコへ行かなきゃ、だか、ら……」

 言葉が途切れ途切れになる。ザザザ……とテレビのノイズのように、もうほとんど見えない男の体が歪み始めた。もう、時間切れ。

「お兄さん!」
「大丈夫、『約束』は絶対だ。『配達人』の意地にかけて、も、な……」

 そのままふっと、男の姿がかき消えた。ふわりと桜の花びらがおしよせる。
 少女はわんわん泣きながら、桜の木に背を向けて走り出した。行く先は、ただ白い。だが、唐突に白以外の……赤と橙の、鮮やかな光のかたまりが現れた。
 これが、『帰るところ』。
 少女は思わず立ち止まって、後ろを振り返り、悲鳴を上げた。光に照らされて出来た自分の影が、白い世界を黒く染め上げている。どんどん、黒が近づいてくる……。


◆  ◇  ◆


ピピピッ ピピピッ ピピピッ……
 朝日に照らされたその部屋で、彼女は目を開き、ボーッとしていた。

「栞流(かんな)ちゃん、目覚ましうるさいわよー!」
「はーい」

 ベッドからむくりと起き上がって、栞流は目覚まし時計のスイッチを少々乱暴に叩いた。ガチャッと音がして、目覚まし音が止まる。

「……何、あれ?」

 ひょいと首をひねるも、すでに記憶はおぼろげ。訳の分からない『夢』だった。

「ま、いっか」

 栞流は身軽にベッドから抜け出し、勢いよくもう半分のカーテンを開いた。鳥の鳴き声が爽やかな、朝。



 篤橋(あつはし) 栞流は両親がおらず、四歳の頃までは母方の祖母に育てられていた。祖母が亡くなってから、行く当てもなくぼうっとしていた彼女を引き取ったのが、祖母と仲の良かった、しかし子どもに恵まれることのなかった、隣の三川(みかわ)夫婦である。
 そして、三川家に引き取られて十年経った今。

「それじゃーおばさん! 行ってきまーす」
「はいよ、気をつけて」

 喜代子に見送られ、栞流は家を飛び出した。セーラー服の襟を払い、耳元のヘアピンを確かめる。学生鞄を肩にかけ、いつもの通学路を走り出した。
 制服のスカートであっても、別段遅刻するような時刻でなくても、栞流はまず二本目の曲がり角に着くまでは、いつも元気に走っていた。今日もその曲がり角のそばで立ち止まり、すうっと息を整えて、道を曲がる。
 青々と葉の茂った、桜の並木道。ここをさらに進めば、途中でイチョウ並木に変化する。

「はぁー、森林浴しあわへ〜! やっぱすっきりするわ、ここ」

 走るために脇に固定していた鞄の持ち手を肩から外し、栞流はそのままそれをくるくると振り回して、のんびり歩き出した。先ほどの走る姿とはまったく違う、気の抜けきった、安心しきった姿。
 この道は、栞流の元気の素とも言える場所だった。春になり、桜の花が満開になる頃や、イチョウ並木が鮮やかに色づく頃には、毎年三川夫婦と三人そろって、その光景に目を和ませている。
 るんるんと鼻歌まで歌いながら、栞流は並木に沿って歩いていった。鼻歌が次第に大きくなり、頬がぽおっと桃色に染まる。
 そして、高揚した気分のまま勢いよく鞄を振り上げた。
 がすっ

「っでぇえ!?」

 妙な手応えがあった。

「へ?」

 幸せな気分もどこへやら、半ば呆然として振り返ると、自分に背を向ける形で、顔を両手で押さえながらしゃがみ込んでいる人の姿が。……明らかに、クリーンヒット。

「うわっご、ごめん大丈夫っ!?」
「んな鞄振り回して道を歩くなぁ!? だぁー痛ぇ……」
「え、えっと、立て、る?」

 栞流は鞄を胸に抱えながら、右手をゆっくりとしゃがみ込む人影に向けて差し伸べた。が、その手がぴくりと震えて、止まる。
 鮮やかな、空色。

「ちっくしょー顔見合わせてもいねーってのに、こんな挨拶かまされるとは思ってもみなかったぜ。気をつけろよコノヤロー」

 キッとこちらを睨む目つきは鋭く、金色に輝いている。

「篤橋 栞流。先代よりあんたに『約束』の配達に来た」

 黒と白のラインが入った深緑色のジャケットとスラックスに、同じ色の帽子を被り、手には礼服用の真っ白な手袋をつけている。肩からは焦げ茶色の、大きな革鞄。
 レトロな郵便配達員の格好をした空色の髪の少年は、栞流を睨みながらそう告げた。


◆  ◇  ◆


 とりあえず、夢だと思いたかった。
 けれども目を開けて視線だけを周囲に巡らせてみれば、興味津々といった様子のクラスメイトたちに、栞流ともども囲まれている彼はうろたえていて。

「お、おい、俺は配達に来ただけなんだぞ、なんでこんなところにまで」
「ねぇ、配達って、君やっぱ郵便屋さんなの? でも、私たちより年下だよね」
「つか、髪の色がすげぇよな。これ地毛? それともやっぱ染めてんの?」

 空色の髪をした少年配達員は、ずずいっとセーラー学ランの少年少女たちに詰め寄られた。う、と呻いて、配達員は栞流を指さす。

「おい、篤橋 栞流! あんた本当に『約束』のこと知らねぇのかよ!」
「あーうん、ゴメン、全然分からない」

 それを聞いて、配達員は「うあー」を小さくうめき声を上げた。一歩一歩、生徒たちからも遠ざかろうとする。
 桜並木の下で、栞流は突然「『約束』の配達をしにきた」と言ってきた少年に「何それ?」と答えてとっとと走り出し、そのまま学校に来てしまった。とりあえず、年下に見えても怪しい者は怪しい。走り出す瞬間、彼がものすごく驚いた表情をしたのが少し気に掛ったが、栞流はとにかくとっとと学校にたどり着きたかった。
 だが、ゆとりを持って教室に入り、朝のホームルームを終えて一限目の準備をしていたら、突然窓から入ってきた。けっこう、かなり不機嫌な顔をして。
 換気のために開けられていた窓から、ひょいと飛び込んできた配達員に、教室内は一時騒然となった。
だが、その中でも反応するのが一番早かったのがすでに顔を合わせていた栞流で、持っていた教科書をぶちまけてしまった。「なんでココに来たのー!?」と彼女が叫んだところで、生徒たちが沸き立った。

「ホントに、俺、これからどうすりゃ……先代もほとんどなんにも残さないままいっちまうし……だあもう……っ」

 本気で困っているようなので、栞流は小さくため息をつきながら、彼をクラスメイトの輪から救うべく動こうとした。
 だが、その前に生徒の輪が崩れた。

「え?」

 みな、ぽかんとした表情を浮かべていて、しばらくその場に突っ立っていたかと思うと、ぞろぞろと席に戻っていった。全員が椅子に座ったところで、少年配達員は呆然としている栞流を見やった。

「悪い。強硬手段になるけど埋め合わせはする……と思う、きっと、多分!」
「へ、え!?」

 栞流が混乱している間に、少年配達員は素早く栞流に近づいて、その身を横抱きにしてしまった。唐突に、自分よりも小柄な少年にお姫様抱っこをされてしまい、栞流はさらにぎょっとする。

「や、ちょ、待っ!」
「ほっ」

 気の抜けたかけ声と共に、少年配達員はそのまま異様なほど静かな教室から、勢いよく飛び出した。無論、出口は先ほど少年配達員が飛び込んできた、窓。

「ちょっと待ってここ三階ー!?」
「叫ぶな無関係な人間に見つかるぞ!」

 ふわり、と一瞬だけ無重力を感じた。が、すぐにそれは落下に変わる……。そう思って、栞流はぎゅっと目をつむった。ああ死ぬ、死んじゃう。だが、いつまでたっても、腹の底がひっくり返るような落下の感覚が訪れない。
 不審に思って薄目を開くと、すぐ目の前に幼い少年配達員の横顔があった。そして、その顔の向こうにはひどく近い、青空。

「……嘘」

 端的に言うと、二人は、空を飛んでいた。

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素材提供: 空色地図Komachi