カゲナシ*横町 - 小紅便り
□ 小紅便り □


第二部  配達、迷走

 少年配達員は、いたずらを叱られた子どものような表情を浮かべて、桜の木の下に立っていた。
 栞流は少年配達員に抱えられ、空を飛び、あっという間にあの桜並木のもとへ戻ってきてしまっていた。しわの寄っている眉間を指でぐいぐいともみほぐしながら、栞流は首を横に振る。

「一体、あんた何よ……、いきなり『約束』の配達だとか、みんなは変なふうにするわ、明らかにあんたより重いあたしを抱えるわ、……空、飛ぶわ」
「とりあえず、現実逃避はしていないようで助かった。いや、マジで嘘だとか信じられないとか喚かれると困るんだよなー」
「喚きたいわよっ」

 栞流は声を荒らげて、少年配達員を睨みつけた。彼は少しだけ肩をすくめて、しゃべりだす。

「まず、あんたに落ち着いてもらうためにイロイロ言っておくか。『約束』については長くなりそうだから飛ばすとして、俺は『空』の『配達人』。これはどっちも名前じゃないけど、面倒だからソラでいい。あんたのクラスメイトには、ちょっと俺の記憶のとこだけ忘れてもらった。ちょっとばかし気が急いて、あんたのところに突っ込んじまった俺の責任だけど。あと、俺は見た目通りの年齢でも力量でもないし、マジな人間でもないから空だって飛べる」
「……マジ?」
「マジ、超マジ」

 少年配達員ソラは、金色に輝く目を細くさせて、こっくりと頷いた。

「ま、こんなワケ分からんヤツにつきまとわれて、あんたも混乱してるんだろうけど、こっちだってこんな前例聞いたこと無いからさ」 「聞いたこと無い、て」

 栞流が呆然とつぶやくと、ソラは帽子の上からがしがしと頭をかいた。おもむろに肩にかけていた革鞄から、一枚のメモを取り出す。

「篤橋 栞流とともに、あの特別な桜の木の下で」
「へ?」
「あんたさ、何かちょっとしたことでもいい。俺みたいな髪と目の色をしたヤツと、どこかで会わなかったか?」
「そっそんなの」

 知らないわよ、と叫びかけて、栞流はふと口元を押さえた。
 今朝、見たばかりで、おぼろげな夢の記憶。あそこにいたのは、幼い自分と。

「……空色の、髪」

 どうしてソラと相対したときに思い出さなかったのだろうか。そうぼんやりと思ってしまったが、ものすごい勢いで頭が働き、あっという間に忘れかけていた夢の記憶が掘り起こされる。

「うん、そういえば、あれ……」
「な、なんだ。なんか思い出したのか!?」
「今朝、夢を見たの。変な夢。真っ白なところに桜の木があって、その下で私が泣いてて、目の前に……」

 ごくりと、つばを飲み込む。

「たぶん、あれはおばあちゃんのお墓だ。そうだ、あの人は、おばあちゃんに何かを届けたかったんだ」
「……あー、そうか。先代の未練ってそれか。っだー後継者になんつーもん遺していくんだよ」

 ソラは苛立たしげに、両手を握りしめて耳の辺りにぐりぐりと押しつけた。そこで、ふと顔を上げて栞流を見やる。

「で、なんで配達失敗した先代の未練が、『約束』っていう形であんたに向いたんだ?」
「え、えっと」

 栞流はそこまで思い出して、恥ずかしくなった。夢の中とはいえ、幼かった自分の感情もはっきりと覚えている。

「さびし、かったの」
「は?」

 ぼそぼそと告げられた言葉に、ソラは眉根を寄せる。

「おばあちゃんが死んじゃって、あたし一人で、そこになんていうか……やわらかい? 子どもの甘えやすそうな雰囲気っていうの? そんなのを持った人が来て、でもすぐにいなくなっちゃいそうで」
「……あの、さぁ。ひょっとして俺に押しつけられた先代の『約束』っていうのは、先代の依頼失敗の未練とかが変質したもんじゃなくて、最初っから子どものあんたとの間に成立した取引だった、てことなのか? マジか?」

 乾いた笑い声を響かせていたソラだったが、突然「だぁ!」と叫びだしその場にしゃがみこんでしまった。栞流はその姿を見て、なにやらずいぶん面倒なことになってしまったらしいとおぼろげながらに理解した。

「で、でもさ、桜の木っていったら、この辺にはここの並木ぐらいしかないしー」
「ここじゃない」
「へ?」

 立ち上がったソラは、先ほどまで浮かべていた子どもらしい表情をかき消し、冷たさの感じられる無表情でしゃべり出した。

「あんたの話なら、先代は配達に失敗した。たとえどんな理由であれ、依頼の通りに配達できなければ、俺たちは後継者に仕事をすべて引き継がせて消えなければならない」

 でも、とまたくしゃりと表情を歪ませて、ソラは栞流を見上げる。

「あんたとの『約束』について……さっき言った短い伝言しか、俺は知らないんだ。本来『配達人』の仕事なら、誰にどんな内容でいつ配達をすればいいのか、必ず分かるのに」
「えっと、つまり、あんたも手探り状態?」
「プラス目隠し、ってかんじ。適当にリスト流し読みしてたら、やったら空白の多い配達依頼があったから、確認しに来たんだけど」

 だぁ、ともう一度、ソラは俯いて呻き始めた。栞流はそれの姿を眺めながら、学校は一体どうなったのだろう、みんなは元に戻ったのだろうか、自分はどういう扱いになったのだろう、と心配をしていた。

(けど、こいつ放っておくわけにもいかないんだろうなぁ)

 おそらく、この場をさっさと立ち去って学校に戻っても、また窓から侵入して自分を引っ張ってくるだろう。あれだけはもう勘弁して欲しい。何より、お姫様抱っこは恥ずかしすぎた。
 それから五分後、腹をくくったのか、ソラはしゃきりと背筋を伸ばして立ち上がり、鋭い金色の瞳を栞流に向けた。

「よし、篤橋 栞流、手っ取り早く『約束』の内容教えてくれ!」
「ゴメンきれいさっぱり」
「んがー!!」

 予想はしていたものの、実際すぱーんと返答されてソラは気絶したくなった。栞流もいきなりの展開でうんざりしているだろうが、ソラ自身も好奇心からこの配達依頼を選択してしまったことを心底後悔していた。
 配達依頼は、特定の日に決まっているものが最優先で、その次に期限の短いものから長いものに並べられている。今回の『約束』に関しては、なんと『配達人』の世界でも稀な『無期限(本人の逝去まで)』というものだった。他にリストに書かれていることと言えば、依頼者と先代『配達人』の『約束』を果たす、それだけ。楽な仕事と思いこんでしまった自分はバカだったとソラは自嘲した。

「じゃ、じゃあとにかく思い出せ! 思い出す努力をしてくれよ!」
「いいい言われなくったって思い出そうとしてるっつの! でも、その、『約束』の部分が一番記憶ぼやけてて」

 申し訳なさそうにつぶやく栞流は、目の前でどんどん渋い表情になっていくソラを見つめる。ぐぐぐ、と二人の頭がギリギリまで近づいたところで、どはぁと盛大なため息がこぼれた。


◆  ◇  ◆


 二人は住宅街を抜け、町中のオープンカフェで思案していた。
 栞流はソラに頼んで自分の普段着を持ってきてもらい、近くの公園で着替えていた。ソラもまた、Tシャツに綿の短パンという格好で、髪と目の色も真っ黒に変えていた。

「じゃ、あんたのばあさんの墓のすぐ近くにも、桜の木は無いってか」
「うん、普通にずらずらと墓石が並んでるところの、真ん中あたり。あと、この町、桜自体があんまり植えられてないんだよね。さっきの並木が、一番眺めのいいところ」
「眺めがいい悪いはいいんだけどさ」

 ソラはブラックのアイスコーヒーをぐびっと傾け、不機嫌そうに眉をひそめた。その向かいで、栞流はカフェラテをちびちびとすする。かれこれ、こうして一時間ほど座り込んでいた。

「……もういい。とりあえずそこ行くぞ」
「へ? そこって一体どこよ」
「だから、ばあさんの墓のあるってところだよ。あんたから見てみれば、ただの集合墓地であっても、俺なら何か分かるかもしれないからな」
「なにそれ、あたしの言うこと信じてないの」

 栞流は一気に不機嫌になって、カップをソーサーに乱暴に置きながら頬を膨らませた。そんな彼女の顔を見て、ソラはにやりと悪ガキのような笑みを浮かべる。

「霊感とかべらぼうに当たる第六感とか、その他諸々の特殊能力でも持ってるのか?」
「あたしは一般人よ」
「一般人とズレた世界に生きるヤツじゃ、基準からまず違うからな」

 ソラはこともなげにそう言って、イスに引っかけていた革鞄を肩にかけた。そのまま席を立って、カウンターで会計を済ませる。栞流は慌てて自分の分のお金を出そうとしたが、ソラに「さっきの埋め合わせ」と止められた。おかげで、レジ打ちの店員から変な笑顔を向けられた。
 外見小学生程度のソラにおごってもらい、妙に胸の内にくすぶるものを抱えながら、栞流は店を出た。すぐ前を歩いていたソラは、はたと栞流を振り返ってこう尋ねる。

「集合墓地ってどこだ?」
「集合墓地っていうか、フジオカ霊園よ。確かお寺じゃないとこ」
「俺にとっては、どうでもいい違いだ」

 さらりとソラに言われて、栞流はまたかちんときた。けれど、とっさに言い返す言葉が見つからず、ソラに手を引かれるまま歩いていった。
 二人が足を止めたのは、ビルとビルの間にある薄暗い路地だった。プラスチック製の青いゴミ箱が、生ゴミを溢れさせながら連なっていて、栞流は思わず顔をしかめる。

「なんでこんなとこに来たのよ」
「人に見られると、いろいろ面倒なんだってば。お前の学校でやったみたいなことは、極力したくないし」

 ソラは肩に手を当てて、ぐき、と首を回すと「さて」とつぶやきながら栞流に歩み寄った。栞流がそれに気付いて抵抗する前に、ソラはまた彼女を横抱きにしてしまった。

「……あんた、恥ずかしくない? いや、あたしの方がずっとずっと恥ずかしいんだけど」
「なんでだよ。俺とあんたの身長差じゃ、おぶうこともできないし」

 ソラはきょとんとした表情のまま、しっかりと栞流を抱え直して地面を蹴った。一気に灰色の風景が、下方へ流れていく。 二度まばたきをした頃には、人間が小指の爪ほどに見える高度にまで達していた。
 思わず身を震わせて、ソラの首にしっかとしがみつく。そこで、栞流は彼の髪と瞳の色、服装が初めて会ったときのものに戻っていることに気付いた。

「……恥ずかしい。というか、まずやっぱり十歳児にお姫様抱っこされてるシチュエーションが理解できない」
「見た目だけなんだからな」
「はいはい」

 そこで気だるげに返事をして、栞流はふと思った。実年齢=見た目ではないということは、一体彼はいくつなのだろう?

(……ラブコメ?)
「あ、あれか、フジオカ霊園」

 ソラの視線の先には、灰色と黒の素っ気ない色彩が並ぶ区域があった。ソラに確認を求められて、栞流は小さく頷き……首をかしげた。 「ねぇ、あれ……」

 すっと栞流が指さす方向、霊園の中心部からだいぶ外れたところを、ソラは「ん?」と眉をひそめながら見つめた。次いで、パチパチと激しくまばたきをし、栞流と目をあわせる。

「桜?」

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素材提供: 空色地図Komachi