□ すべては生きるために・・・・ - 2)救いと絶望 その少年は、くすんだガラスのような瞳で行き交う人々を眺めていた。 壁を背に、地べたに座りこみ、膝を抱え・・・・少年は家なき子、つまり孤児だった。 見た目は、十歳程度。 太陽の光を受け、鮮やかにきらめく若草色の髪・・・・ただ、それは手入れが全くされず、所々はねていた。 その不思議な光に誘われて少年を見た人々は、少年の顔を見た瞬間に顔を背ける。 泥に、砂にまみれ、ボロ切れ同然の服をまとう。 そんな少年に、名などなかった。 必要なかった。 そんなものがあったところで、少年にはそれを呼んでくれる人さえいないのだから。 と。 「おおっ! こーんなとこにいたぜっ」 焦点の合わないまま路上を眺めていた少年は、そんな突拍子もない大声にぴくりと反応する。 だが、それだけだった。 近くを歩く人々は、いったい何事かと声の主を視線だけで捜した。 そこに立っていたのは、実に怪しい格好をした青年だった。 黒髪、黒いゴーグル、黒いマント、黒いジャケット、黒いブーツ。 唯一別の色と言えば、やけに白っぽい肌のみ。 人々は気味悪そうにその青年を眺めながら、自然と間を取った。 しかしそんなことは一切気にせず、青年はズカズカと大股で歩く。 立ち止まった青年の目の前に座るのは、若草色の髪の孤児。 「いよっシュルツ・・・・じゃなかった、ガイルだったっけ? オイ大丈夫か〜?」 青年はしゃがみ込み、少年と目線の高さを合わせた。 まるで古くからの友人のような口の利き方に、ガイルと呼ばれた名もなき孤児は一言、答える。 「・・・・誰だ」 「ん? あれ、覚えてない? ・・・・あーそうか、うん、俺はステントラってんだ。変な名前だろ〜? ときどき自分でも『ステンシル』だの『ステンレス』だの厄介なのと間違えてさぁ」 ぺちゃくちゃと機関銃のようにしゃべりまくるステントラから視線を外し、少年はさらに言う。 「・・・・俺に、名前なんかない」 「おう、だからユ・・・・いやいや俺がつけた。どうだ〜? 『ガイル』・・・・かっこいいじゃん」 少年はあ然として、再度ステントラを見た。 彼は満面の笑み(口元しか見えないが)を浮かべ、そっと右手を差し出してきた。 「なぁ、ガイル・・・・俺、お前のことここ数年ずっと探してたんだよ。 はぁ〜、会えてよかったマジ。なんかもう死んでるんじゃってスゲー心配してた」 「・・・・さ、がして、た・・・・?」 少年の・・・・ガイルの目が極限まで見開かれる。 物心がついてから、ガイルはずっと路上で、一人で生活していた。 どこのグループにも入れず、偽善者たち(ガイルから見た少年保護団体たち)の対象にもされず、 ただぼうっと、時を過ごしていた。 そんな、絶望を絶望とも思えなかった・・・・それを当然だと思っていたガイルは、 今目の前に差し出されている手を、じっと凝視する。 ぴく、と指が動く。 ほとんど動かしたことのない腕の筋肉が、骨が、ガクガクと震えて悲鳴を上げる。 それでも。 ガイルは手を伸ばす。 変わることができる・・・・そう思えた、そう思わせたその手に向かって。 だが。 「どけぃっ! 孤児を勝手に連れて帰ろうとするんじゃねーよっクソが!」 ゴガッ、という鈍い音と共に、目の前にかがんでいたステントラの体が横へ吹っ飛んでいった。 伸ばされた手は、震えたまま、彼の手を追う。 しかし、そんな彼の手を乱暴に引いたのは、屈強な体つきの兵士だった。 兵士は舌打ちしながらガイルを小脇に抱え、住民たちは小さく悲鳴をあげながら脇道へ寄る。 「ったく、面倒くせぇったらありゃしねぇよ。なぁ?」 「まったくだ。ちぇ、今度はひょろひょろかよ・・・・こんなの使えるわけねーじゃん」 「しゃーねぇって。こんなんでも別にいいだろ。死ぬヤツは死ぬしな、どーせ」 兵士たちはそれぞれ鼻を鳴らしながら、ガイルを頑丈な鉄製の馬車へ放り込む。 ガンゴン! と全身を鉄板に叩きつけたガイルは、瞬時に気絶した。 兵士たちは御者台に乗り込み、さっさと馬へムチをやる。 パシィンパシィンッ!、と必要以上に叩かれた馬は、絶叫を上げながら勢いよく走り出す。 馬車は町を駆け抜け、リレイア・ゼノン・・・・『我が神の座』という名の王宮へ向かっていった。 この国、ミットビア帝国は今まさに、連合国ボルガル共和国と戦争を繰り広げていた。 すべての始まりは一年前・・・・ミットビア帝国リレイア五世の戴冠式からだった。 文武ともに長け、責任感もあり、前帝王リレイア四世の長男であった現帝王は 父からはもちろん、国民からも幼少の頃より『次期帝王』と噂されていた。 そして、リレイア四世の死去、当然のように、彼の前には玉座、頭上には王冠が用意された。 全ての国民は、彼がミットビア帝国をさらによい国へ発展させてくれるだろうと期待した。 だが、彼は即位後、日に日に堕落していった。 幼き頃の聡明さは見る影もなく、剣はただの飾りとなり、書類は目を通しもせずに判を押すだけ。 酒や女はもちろん、国民からの税金と国の財をめちゃくちゃに使ったお祭り騒ぎが日々行われた。 しかも、国民からの抗議や、帝王と同等の力を持つ最高老師たちの諫言は握りつぶし 反旗を翻したものたちは問答無用で切り捨てた。 何が彼の身に起こったのか・・・・それは誰にも分からない。 優秀な王の下、さらなる繁栄を・・・・その夢は、砕けた。 ミットビア帝国はリレイア五世即位後半年で、すべてが狂い始めた。 いくつもの宗教団体が立ち上がり『国王に死を』と言いふらし、暴徒化。 その勢いにのせられて、国を守るべき兵たちもまた暴走し始めた。 その影響は計り知れず、国内どころか国外へも・・・・特に、リレイア三世の時代に協定を結び ココレアという名の連合国となったボルガル共和国との間では紛争も、ところどころで勃発していた。 そんな事態を招いても、リレイア五世の そして、とうとう事件は起こった。 とある一つの暴徒化した宗教団体のメンバーとミットビア帝国海軍が手を結び、 たまりにたまった祖国への不満を、あろう事か国外へ・・・・海の上へ放出したのだ。 ちょうどその近辺を航海中だった、ボルガル国の物資輸送船を巻き込んで。 しかもその輸送船が運んでいたのは、クレンディア大陸から輸出された大量のチャーム。 大損害を受けたボルガル政府はとうとう、『ミットビア帝国は堕ちた。我らの手で鎮圧すべし』と開戦予告を大々的に報じた。 そうして二ヶ月前・・・・『ココレア大戦争』が始まった。 「・・・・でもよぉ、リア山脈でボルガル側の魔術師軍団にこっちの軍があっさり負けちまうとはね」 「へっ、魔法魔法ってお空から火やらつららやらがバンバン落ちてきたらしいってな」 「そのせいで兵が死にまくって不足、そこらから適当に男どもさらってけ、なーんてよ。 王どころか側近までイカれたかね。軍は人さらいじゃねーっつの」 「それにしちゃお前、身よりのねぇ孤児どもを回収するなんざ、なかなか名案だったじゃねぇか。 これなら、あんまり騒いでねぇ首都の連中も、文句はいわねぇだろーなぁ」 「それがよぉ、結構うるせぇのが少年保護団体とかいうヤツらで、D班手間取ってるらしいぜ? これが厄介なんだと」 「ほぉ〜、帝国軍兵に逆らうたぁ見上げた根性だな。そいつらも兵にしちまえばいいんじゃね?」 「だよなぁ。そこまで元気あるんならテメーらが戦えっての!」 ゲラゲラと下品な笑い声、そしてがたがた上下左右に細かく揺れる体。 ガイルは小さく呻きながら、何とか上体を起こした。 細長い、数センチの幅の格子窓が一つだけ、そこからわずかに馬車の中へ光が射してきていた。 馬車の中にごろごろと転がっているのは、ガイルと大して風貌の変わらぬ子供たち・・・・中には十六、七程度の少年もいる。 だが、そんな大きな体格の者たちはみなぐったりして、ところどころムチ打たれた傷がのぞいていた。 ガイルは先ほど路上でしていたように、馬車の壁に背中を預け、ギュ、と強く膝を抱えた。 ぼんやりと霞がかった意識の中で聞いた兵士の話では、自分たちは兵隊にされてしまうらしい。 もう、こんなにボロボロなのに。 もう、立つことすら、ままならないのに。 「・・・・ス、テン、ト、ラ・・・・」 そっと、自分に名前をくれた、初めて自分に笑いかけてくれた、・・・・初めて、手をさしのべてくれたあの青年を思い出す。 兵に抱えられ、馬車に放り込まれる寸前、視界の端で必死にもがいていた、青年。 「・・・・ぅ・・・・」 涙は、出なかった。 けれど、ガイルは逃してしまったあの温かさを、ひたすらに恋しがり、泣いた。 |