第三部 問答、そして対峙 私達は、運が良かったのでしょう・・・・ああ、いえ、悪かったのかもしれません。生きていられることは幸運ですが、その後の人生を思えば。『生きてさえいればいい』と言う方が世にいることも知っています。けれど、あまり共感できません・・・・。 少し脱線してしまいましたね。 リックがだいぶ歩けるようになって、私も舞手としての才を認めてもらえるほどに成長した頃でした。しばらくの住まいとして族長が定められた土地から、少し離れた場所にある泉に水を汲みに行っていたんです。楽器職人だった父が熱で倒れたので・・・・。ああ、リックから見れば叔父にあたります。ふふ、私達、本当の姉弟じゃないんです。 まぁ、その間に、部族が襲撃されて・・・・泉のある岩場の影から、私はそれをぽかんと、きっと間抜けな顔で見ていたんでしょうね。薄暗がりの荒れ地を、煌々と照らす赤い炎。立ち上る真っ黒な煙。悲鳴も、届きました。私はその悲鳴に恐れをなして、リックを抱えて、岩場で一夜を過ごしました。 翌日、リックの手を引いて部族の者たちで作った簡易集落に戻りましたが、残っていたのは残骸のみ。人も、家も、馬車も、すべてが破壊されて野ざらしになっていました。めぼしい金品や、宝飾のついた稀少な楽器は持ち出され、私とリックはその後、泉で手に入れた一抱えの水や、燃えかけの毛布やらを探し出して、その地を去りました。 荒れ地を出る前に、二人そろって飢え死にしてもおかしくありませんでした。けれど、まぁ、拾われまして・・・・そのときばかりは、天の助けと思いましたが。あのようなところで出会うなど、まっとうな職の者ではないはずなのに、私達は幼すぎて、それがわかりませんでした。 ・・・・このあたりは、飛ばしましょう。話す方も聞く方も、あまり良い気分になりません。 私が舞手として、リックが笛吹として才を開化させることができたのは、数年前に出会ったある方のおかげです。いわば『師匠』なのです。あの方のおかげで、私達はここまで旅してくることができたといっても過言ではありません。あら、リック、何を嫌そうな顔をしているの? ・・・・ここまでが、逃走のち二人の宿泊する宿に戻ってきたあと、アルシオがサリアから聞いた彼らの身の上だった。 リックから突き刺さるような視線をひしひしと感じながらも、アルシオはサリアの話を聞いた後、ううむと唸って目頭を押さえた。数秒してから指を離し、目を開く。 「ひとつ・・・・いえ、いくつかお尋ねしたいことが」 「聞きたいことはこっちだって山盛りなんだけど」 ざっくりとリックに切り捨てられて、アルシオは表情を曇らせる。 だが、正面に座るサリアはにこにこと笑ったまま「どうぞ、そちらから遠慮無く」と、完全にリックを無視する流れで言ってきた。これにはアルシオも仰天する。すかさず、リックの非難の声が飛んだ。 「姉ちゃんっ!」 「リック、あちらは礼儀正しく問いかけていらっしゃるのに、どうして話の腰を折るようなことをするの」 しかる、というよりは、不思議がるという風な口調で、サリアはリックをたしなめる。アルシオは思わず天を仰いだ。なんだか、妙に気が抜けてしまう。 なおも文句を言おうとするリックの口を両手でふさぎ、暴れるのをさらりと無視しながら、サリアはアルシオに続きを促す。 (し、視線が痛い、痛すぎる) そう思いつつも、やはり気になることはある。眉間を人差し指で押さえつつアルシオは問いかけた。 「ええっと・・・・今も、とくにどこかへ所属することなく二人だけで旅をしているんですか?」 「はい」 「では、・・・・こういうのも失礼ですが、女性と子どもという組み合わせで、一体どうやって?」 二つ目のほうは、疑問というより純粋に好奇心だった。リックは顔を真っ赤にさせて姉の手から逃れようとしているが、なかなか力が強いのか、それとも彼自身手加減して抜け出そうとしているからか(おそらく後者だろう)、まだサリアに捕まったままである。 サリアはアルシオの問いを聞き、にっこり笑って答えた。 「催眠術、と町では呼ばれるような技術を使って、ひたすら絡まれては逃げていました。私たちの部族では、たいていの人間が使える技術でしたが」 「ふがふがぅー!!」 「あああと、もう一つ・・・・この竪琴に関して、何か知っていることは?」 「竪琴に関して、ですか? その装飾から、部族のものだろうと判断したまでで、竪琴自体は初めて見ました・・・・」 サリアはまた不思議そうな表情で、アルシオを見返した。アルシオはそれに曖昧な笑みを返して、どこか安心したように息を吐く。 「あ、はい、ありがとうございます。どうぞ私のほうへの質問も・・・・」 「どうして、お前がそれを持ってるんだ! まずはこれだろ!?」 やっとサリアに開放されたリックは、必死に声を低めながらも、やはり怒鳴るような言葉遣いで言い切り、アルシオをびしっと指さした。サリアがまたそれをたしなめる。 「は、ぁ・・・・やっぱり、そこですよね。ええっと」 アルシオはぽつぽつと話し始めた。 もともと自分は諸国を旅する、ごく普通の旅人で、ときおり護衛稼業なんかもやっては収入を得ていたという。 そんな中、ある商隊の護衛をしていたところで、結構な規模の盗賊団に襲われてしまったらしい。ひたすらに残虐な行為を繰り返す盗賊たちに、必死に抵抗したものの、隊の者は全員殺されてしまい、あわや己も・・・・というところで。 「ちょうど、盗賊たちの使っていた馬車・・・・といいますか、なんといいますか・・・・とりあえず誰も乗っていない、守っていない荷車があったんです。自分たちの商隊の馬はとっくに殺されていましたから、それを奪い取って逃走。なんとかまけたと思って、興味本位で荷台の中を覗いてみたらコレや、その他諸々の宝玉類もありまして」 それからずっと、鬼のような形相をした盗賊団に追われ続けているんです、と苦笑しながらアルシオは締めくくった。サリア、リックはそろって沈黙する。 「・・・・まさかとは思うが、俺たち」 「すみません。もう完全に巻き込んでしまいましたね」 「すっスミマセンで済むかぁっ!? 確かに昼間、あそこであんたと逃げてなくても、なんかあの男たち目がイッちまってたから? さすがにあそこまで理性が飛んでたら俺たちの術もきかないかもしれないけど・・・・だぁぁあ面倒な上にマジで命かかっちまったよ!」 「リック、落ち着いて。言ってること支離滅裂よ?」 「姉ちゃんは落ち着きすぎ! あぁぁあ〜・・・・」 頭を抱え呻きながら、リックは近くのベッドへよろよろと歩いていき、ぼすっと力なくうつぶせになった。「ぅあああ〜」とまだ呻いている。サリアはリックのその様子に、さすがに少々戸惑いを覚えたようで視線をふらふらと泳がせている。 と、そこへこんこんと控えめなノックの音が響いた。 「「!」」 「あ、はい?」 ぴくっと緊張するリックとアルシオにまったく気づかず、サリアはまたのんびりした口調で返事をし、立ち上がって扉に近づいていこうとした。と、その右手をアルシオがつかむ。 「あら?」 「私がいきます」 ふ、と微笑んで、アルシオはつかつかと扉に近づき、ゆっくりと開いた。その向こうにいたのは、盗賊の男たちでもなんでもなく、ただの宿の娘。 「何かご用でしょうか」 驚く娘に、人当たりのよい笑みを浮かべながら、アルシオは尋ねる。娘はほんのり頬を染めて、少し小さな声で答えた。 「えっと、なにかお客様がお見えに・・・・なんでも、あの喫茶店のことだそうで」 「あー、俺が行く」 むくりと起き上がったリックが、脱力しきった様子でアルシオと娘の間をすり抜けていった。アルシオは申し訳なさそうにその背を見送り、しばらく視線を宙にさまよわせていたかと思うと、急に振り返ってサリアを見た。 「サリアさん」 「はい、なんでしょう?」 「昼間の・・・・あの喫茶店でのことは、やっぱり私が原因ですから、私も下へ行こうかと思います。一緒に来てください」 つかつかと近づいてくるアルシオを見返し「自分の責と言っているのに、なぜ私も・・・・?」と疑問符をとばしまくっていたサリアだったが、アルシオがその手を取りながら小声で答えてくれた。 「あなた方を、人気のないところに一人きりにするのは危険ですから」 サリアは頷いて立ち上がった。「では・・・・」と少し残念そうな目で二人を見つめる娘に促され、二人も部屋を出る。三人そろって歩き出したところで、なにか下の広間のほうが急に騒がしくなったように聞こえた。 「・・・・なんだテメェ!?」 唐突な、リックの怒鳴り声、それに続くように複数の悲鳴があがった。 「リック―――ッ!?」 一気に蒼白になるサリアの隣で、アルシオはまさに、風のような素早さで廊下を走り、階段を駆け下りて広間に飛び込んだ。 広間の中央にいるのは、一人の人間・・・・漆黒のマントで頭の先から足首まですっぽり覆い隠している。シルエット的に全体の線は細く、フードからわずかに見えるあごの肌は、血色がいいとは決していえない。 そして男は、カウンターの向こう側でがくがくと震えている宿の主人である夫婦に、その体格に似合わないでかでかとした両手剣を、なんと片手で向けていた。逆の手には、ぐったりとしたリックが抱えられている。 「・・・・アルシオ」 男はゆっくりと振り返り、飛び込んできた体勢のまま硬直しているアルシオと向き合った。アルシオの背中を、するりと蛇のように寒気が通り抜けていく。 「あなたが、わざわざ」 「竪琴は、どこだ」 アルシオの言葉などあっさり無視して、男・・・・盗賊団の頭目は小さく首をかしげた。いつの間にか、剣は夫婦ではなく気絶しているリックの首のあたりにあてられている。 「あれは、本来その子たちのものらしいので、お返しするつもりです。あなたに渡しはしませんよ」 「馬鹿馬鹿しい。お前から奪うより、なお容易い。むしろ、さっさとそうして、この者たちから離れてくれればよかったものを」 淡々とした口調の中に、嘲りの色を交えて、頭目は言う。 「しかし、『つもりだ』ということは、まだ渡してはいないようだな。さて、ではどうするか・・・・」 そう言いながら、頭目は逆のほうへ首をかしげ、剣を揺らす。アルシオはじっとその様子を見ていた。頭目が手の力を、ほんの少しでも緩めてしまえば、そこにリックの首が転がることになるかもしれないというのに。 「・・・・ふぅ、やはり、お前に人質などというものは効かんか」 「当然でしょう。たとえ、あの竪琴を渡すつもりだった相手がいなくなっても、私はまた、竪琴の持ち主にふさわしい方を見つけだすだけです」 冷静に、残酷に、アルシオはそう答えた。頭目は面白そうに肩を震わせる。リックの首から剣が離れ、頭目の肩にトン、と担がれた。 「もう一度言おうか? 俺は、『お前に』人質など効かん、と言ったはずだが」 ぴくり、と無表情を貫き通していたアルシオの、左手が震える。続いて、コツコツコツ・・・・と、階段を駆け下りる軽快な音が、響いてきた。 「リック!」 リックのただならぬ怒声、悲鳴に茫然自失の状態だったサリアが、なんとか動き出してきたのだった。アルシオの全身から、すうっと熱が引いていく。 「なるほど、踊り手か。確かに美しい」 頭目はサリアのほうへ顔を向けながら、薄く笑った。 「その者も、あの竪琴を渡す相手の一人か。ならば、もう一方は消えてもよいと・・・・お前は、そう考えるのか」 実に、実に楽しそうな声だった。サリアの顔が、蒼白を通り越し真っ白になる。見開かれた目は、ただ頭目に抱えられているリックを見つめていた。 「だが、踊り手はそうは考えないらしいな・・・・?」 「サリアさん」 「リックを、離してください」 先ほどの頭目のようにアルシオを無視して、サリアはふらふらと頭目に近づいていった。慌ててアルシオはサリアを止めようとするが、背後から手を伸ばしているというのに、ことごとくかわされてしまう。 頭目は「ほぅ」と興味深げにサリアを見ていた。今にも倒れそうな足取りで近づいてくるサリアだったが、ある場所でぴたりと止まった。ちょうど、頭目の持つ剣の間合いの外すれすれである。 「リックを、離して」 サリアの声に、力がこもる。その後ろでアルシオが息をのむのが見て取れた。一体なにを、と言いかけた頭目だったが、ふと奇妙な感覚に襲われた。 『この少年を踊り手に引き渡さなければ』という、常人にはなかなか気づけないであろう強迫観念のようなものが、自分の中で少しずつ膨れていくのである。頭目は心から感嘆した。今時、言葉と視線のみで暗示を施せる人間など、希少どころではない。理性も感情も思いのままにできるはずの自分の思考回路に、食い込んでくるとは・・・・と、頭目は冷静にそう思っていた。そして、暗示を『叩き潰す』。 「残念だな、踊り手。俺にそうそう、暗示はかけられない。だが、少しでもその気にさせるとは、その技量、並ではないな」 「あ・・・・」 自分の暗示が効いていないと分かるなり、サリアは今度こそ絶望したかのようにその場にへたりこんでしまった。その体を、アルシオが素早く抱きかかえる。 「さて、三流のような台詞で気にくわんが、少年を返してほしくば、竪琴を寄こせ。俺の望みは、それだけだ」 サリアは、ゆっくりとアルシオを見上げた。アルシオはサリアを欠片も見ようとはせず、こう答える。 「それに応じることは、できません」 場の空気が、凍った。広間の隅で戦々恐々とことを眺めていた他の泊まり客や従業員たちが、ぼそぼそと、やがて声高にアルシオを非難し始める。 「君は、その子を見殺しにする気か!」 「竪琴の一つや二つ、人の命に比べれば安いものだろう!」 「そんなにその竪琴とやらを手放したくないのか!」 「優しい顔して、血も涙もない・・・・!」 「・・・・アルシオ、さん?」 ぽろぽろと涙の粒をこぼしながら、サリアは呼びかけた。アルシオはじっと頭目を見据えたまま、応えようとはしない。 「アルシオ、なにやら、お前のほうが悪者のようだな。こういう状況を見るのは、実におもしろい」 「・・・・勝手に、おもしろがってろ」 ぎゅ、とサリアの肩に添えられていた手に、力がこもる。この状況下でも丁寧な言葉遣いを貫いていたアルシオの、唐突な態度の変わりように、サリアも周囲の者たちも思わず黙り込んだ。 (怒ってる) とても、とても怒っている。サリアはアルシオを見上げたままそう感じた。びりびりと周りの空気が震えそうになるほどの怒気を、アルシオは表情を変えないまま発している。 その怒りを向けられている頭目は、まったく、なんでもないように答えた。 「自分を曲げる・・・・いや、へし折ってしまうほど、あの竪琴は大切か。アルシオ」 「大切なわけじゃない。ただ、お前に渡すわけにはいかない。お前が主になるべき竪琴ではない。あんな・・・・」 アルシオはそこでようやく、サリアを見た。痛ましげにサリアの顔を見、そっと涙を拭いながら、また頭目を見据えて言う。 「あれは、人の心を惑わすもの。貴様があれをどう使うか、想像に難くない。目の前の一人と、未来の数百・・・・いや、数千か。どちらを、選ぶかなんて」 アルシオは血反吐を吐く思いで、そう言った。もう、正面からサリアの顔を見ることなどできない。周りの人々も。だから、ただ頭目のみを睨みつける。 と、アルシオの両頬にそっと手が添えられ、なんだ―――? と思った瞬間、首の骨が『グキッ』と鳴るほど(すぐさま周囲の人間は顔を背けた)かなり強い力で、顔の向きを変えられた。鼻と鼻の頭が触れそうなほど近くに、サリアの厳しげな顔がある。 しかし。 「よい、方法があるかもしれませんよ」 サリアは満面の笑みを浮かべ、呆然とするアルシオの腕から抜け出し、しっかりと立って頭目を見据えた。 「この取引、少しばかり引き延ばしていただいても構いませんか? リックは、あなたにお預けします。決して殺さずに。・・・・人質は、なるべく元気なまま」 「サリアさん!」 「ほう、引き延ばせ、と・・・・。この少年を見捨てるか? アルシオと共に逃げるか」 「いえ、アルシオさんよりもリックのほうがずっと大事ですから、逃げるつもりは毛頭ありません。というか、アルシオさんが先にリックを見捨てようとしましたから」 サリアの優しげながらも辛辣な物言いに、アルシオは耳が痛いとでも言いたげな表情でうつむいた。頭目はカクカクと頷いて、剣を懐に収めた。 「ふむ、おもしろい。面倒ごとは嫌いだが、おもしろそうなことは好きだ。踊り手、お前もなかなか・・・・おもしろい。世間知らずのお嬢さんのようだが、なるほど、甘く見てはいけないようだ」 いつになく饒舌な頭目をちらりと盗み見て、アルシオは深い、深いため息をつく。サリアは先ほどまでのアルシオのように、決してアルシオを振り返ることはせず、笑みすら浮かべて頷き返した。 「では、日が変わる頃に・・・・そうですね、町外れにある墓地にでも、集まりましょうか。あなたは無事なリックを、私たちは竪琴を持って」 「わかった、わかった・・・・。あと三時間、といったところか。ふふ、では待っているぞ? おもしろい娘・・・・ただでことを終わらせてくれるな」 頭目はリックを抱え直すと、ゆっくりと宿の入り口へと向かっていった。扉に手をかけ、ふと何か思い出したかのように振り返る。 「そういえば、踊り手、サリアといったか。お前にまだ俺の名を教えていなかったか。失礼、失礼」 「あら、そういえば伺っていませんでしたね」 どこかすっとぼけた会話を続ける二人に、アルシオ含め周囲の者たちは皆呆然としていた。 「俺は、盗賊の頭目、ウェイズだ。まぁ、偽名だが」 「改めまして、旅の舞手、サリアと申します。では後ほど」 くつくつと笑いながら去っていくウェイズを、サリアは始終にこやかに見送った。ぱたん、と扉が閉まった後も、彼の靴音が完全に聞こえなくなるまでは誰も、一言も発することはなかった。 |
素材提供 : Clover様 |