カゲナシ*横町 - アルシオの竪琴
□ アルシオの竪琴 □


第四部  狂気の願い

「・・・・あ、の。サリア、さん」

 やはりというか、静まりかえった宿屋の広間で、一番最初に口を開いたのはアルシオだった。ゆっくりと立ち上がって、サリアに一歩近づく。もう一歩・・・・というところで、彼は立ち止まった。これ以上、彼女に近づけない。いや、近づきたくない・・・・。

「アルシオさん、私、もう怒っていません。大丈夫です、よ?」

 はっと息をのんで、視線を床からサリアの背へ向けた。もどかしく思うほどゆっくり、サリアは振り返る。もう、見られないと思っていた彼女の顔に、今浮かんでいる表情は笑顔。だが。

「サリアさんっ!」
「あ、あは、あはは・・・・ものすっっっっっっっっごく、恐かったぁああ」

 どんどん血の気がなくなっていく。やがてまた蒼白になったところで体がかしぎ、ぺたんと床に女の子座りをしてしまった。焦ったように駆け寄るアルシオの腕を弱々しくつかみ、ふるふると頭を振りながらつぶやく。

「大丈夫でしょうか。私、がんばります。今、がんばりましたけど、もっと、がんばらないと、リック、大丈夫、ひっく、リックは、無事でしょうか。元気なまま、ふくっ、帰ってぇ」
「大丈夫、大丈夫ですよ。だから、まず落ち着いて。サリアさん」

 とうとう泣き出してしまったサリアの肩を抱きながら、おろおろしているアルシオだったが、ぐいっと強い力で肩を引かれる。あっという間にサリアと引き離されてしまった。振り返ると、ものすごい形相の宿屋の女主人が、アルシオを睨みつけてきている。

「あんたが大丈夫って、言ったところで、なんの解決にもなりゃしないよ。おどき」

 アルシオはぱっとサリアや女主人から離れて、無表情・・・・というか、仏頂面に戻った。アルシオの時とは打って変わって、温かみのにじむ声色で女主人はサリアの背をなでる。そうこうしているうちに、サリアはなんとか泣きやんだ。
 泣きやんだサリアは、深呼吸をして、女主人に礼を言った後、迷わずアルシオのほうを向いた。目があった瞬間、思わず仏頂面をゆがませてしまい、アルシオは自分自身に対して思い切り舌打ちをしたくなった。

「アルシオさん、今は、あなたがあの竪琴の所有者というわけなんですよね」
「はい」
「あの竪琴、一体なんなのか・・・・教えてください。私は、その、元々の所有者の、血筋を受け継ぐ者として、聞く権利があると思います」

 サリアのまっすぐな視線を受けて、アルシオはため息をつきつつ、関係のない一般の泊まり客を二階の部屋や店の外に出し、サリア、宿の主人夫婦(いくら言ってもサリアから離れなかった)に、あの美麗な竪琴のことについて話し始めた。

「サリアさん、あなたは先ほど部屋で言っていましたね。あなたの部族には催眠術のような技術が伝わっていたと。あの竪琴は、その集大成なのです」
「はぁ」

 三人とも、やはりこれだけではあまり理解できないようだった。しかし、少し遅れて男主人のほうが、はっとしたようにつぶやく。

「お前さんはあの・・・・ウェイズとか言うヤツに『人の心を惑わすもの』と言っていたな。それは」
「ええ、あれは言葉の通りです。別に美しさや、その金銭的な価値で人が狂うわけではなく・・・・もっと言えば、『竪琴の所有者』が狂うわけではありません。竪琴の音色を聞いたものの心を、動かすことができるのです」

 例えば、と言って、アルシオはどこか遠い目をしながら続けた。
「よい方向では、この音色を聞いた人々に幸せになってもらいたいなぁと、所有者が心から思って、竪琴を奏でたとします。そうすると、それを少しでも聞いた人は、その通りの方向に心が動くのです。つまり、幸せな気分になる」
「・・・・その、逆が」
「ウェイズが狙っていることです」

 三人の見つめるアルシオの表情が、一瞬にして怒りのみに支配された。思わず身を震わせる三人に気づき、アルシオは慌てて顔を背ける。

「あいつが心から望む、人の心の動き・・・・それは、狂気なんです。悲しみも憎しみも、悪意の感情をさらに煽らせる。そうやって、町を・・・・いえ、国をも滅ぼすつもり、なんでしょうかね」
「きょ、狂気、って・・・・」

 女主人が脅えたように、男主人の腕にすがりついた。アルシオは目を伏せ、自嘲のような笑みを浮かべてこうつぶやいた。

「私は、それを阻止するため、あの男から・・・・盗賊団から、竪琴を奪い取って逃げ出しました」

 すみません、そう告げて、アルシオはサリアを見る。

「あなたとリックくんには、嘘を言いましたね。私は、商隊の護衛をしていた者ではありません。実際、商隊を盗賊団が襲撃した、その隙を突いて、竪琴を奪取しましたが」
「アルシオさん」

 サリアはほんのわずかに、目を大きくさせた。先ほどのウェイズのアルシオに対する態度から、なにかおかしいものを感じていたのだ。それが今、はっきりした。

「アルシオさんは、盗賊団の一員、だったんですね」

 アルシオの表情が、かげった。主人夫婦の視線が、一気に厳しいものになる。男主人は「とっとと出て行け」と叫びたくなるのを、なんとかこらえた。女主人の手も、ぶるぶると震える。

「大丈夫です!」

 ・・・・あまりにも、唐突だった。
「は?」と、三人も見事にハモる。
 サリアは一人、純粋な笑みを浮かべて、アルシオの手を握る。驚いて硬直するところも全く気にせず、サリアは言った。

「アルシオさんは、盗賊『だった』んでしょう? 今は盗賊ではないわけで、私もリックも結果的にはアルシオさんに助けていただきましたし、まぁ、今もピンチなわけですが、えー、えーっと、とにかくアルシオさんはいい人、だと思いますから」
「・・・・いい、人? サリアさん、私はあなたの部族を滅ぼした盗賊団に身をやつしていて、おまけについさっき、リックくんを見殺しにしようと」
「確かに、その辺りは私たちにとって『悪い人』です。とても、怒っています」

 そう言うサリアの表情は、やはり笑顔である。・・・・アルシオはなぜか、寒気を覚えた。ウェイズに会ったときとは違う、本能的な恐れである。笑顔で怒りを表現されるとこれほどまで恐ろしいのか、とアルシオは知った。

「ですが、一つ聞きます。・・・・私たちの部族が襲われたとき、アルシオさんはそこにいましたか? いたのなら、分かるはずですよね」

 何のことだ、という風に眉をひそめられ、サリアは逆に嬉しくなった。

「私と、リックがまとうこの衣装です。これ、私が記憶の限りを掘り起こして作った、部族独特の服なんです。もともと舞楽を重んじる部族でしたし、普段からこういった衣装を好んで着ていたんですよ」

 ヒラヒラと袖を振って、サリアは答えた。アルシオは目を見開き、ばつが悪そうな表情で顔を背ける。サリアはとうとう、ぷっと声に出して笑う始末。

「それに、私はもちろんリックが大切です。とても大事な『弟』ですもの。けれど、あなたも大事な・・・・会いもしゃべりもしたことのない、数多くの人々の未来を、守ろうとしている」
「そんなに、美化するな。・・・・あ、いや、それは格好つけすぎです。私は」
「あ、あともう一つ」

 ぴっとサリアに細い人差し指を差し向けられ、アルシオは少し仰け反った。くすくすと笑ったまま、告げる。

「その堅苦しいしゃべり方、最初はいいかなって思いましたけど、ああいう風にもしゃべると知ったあとでは、なんだか違和感溢れていますよ。もう少し崩したらどうですか」

 まさに、ぽかんとした表情とはこのことだろう、とアルシオの顔を眺めてサリアは思った。ゆっくりと隣を見れば、主人夫婦も同じように口を開いて、サリアとアルシオを見つめてきている。それが、ひどくおかしくて。
 どうして、リックがここにいないのだろう、そう思って。

「アルシオさん、竪琴を貸してください。私なら―――・・・・」

 そう、さらりと告げたサリアの言葉に、アルシオはぎょっとした。わずかに頬を染めて混乱する中、あたふたと答える。

「わた、いえ、僕も試してみましたけど、嫌な方へ事が運んでしまって・・・・。えっと、本当にできますか?」
「はい、きっとできます。そうすれば、もう怖いものナシです」
「いえ、怖いものありますよ・・・・」
「はぁ、あ、確かにウェイズさんが残っていますね、どうしましょう」

 むむむ、と眉をひそめるサリアに、アルシオはふぅっとため息をついてこう答えた。声色は、面倒といった風だったが、目の輝き方が違う。明らかに、『おもしろがって』いる。

「あいつに関しては、助っ人を呼びましょう。ま、僕がどうにかします」

 ・・・・その後、とうとう話についていけなくなった主人夫婦に構いもせず、二人は準備を終えて、真夜中の、温かな街灯の光に照らされるオリティアの町を駆け抜けていった。



「・・・・で、親友にして悪友たる俺を頼りにきた、と? 十数年ぶりに会ったとたん仕事かよ」
「お前、仕事ならなおのことだろうが。隊は、お前の力でどれくらい動かせる?」
「俺が仕切っている一つ、大体三十人くらいか。俺と同じくらいな技量のは、だいたい・・・・そうだな、十人くらいか」
「よくそれで隊長の座、奪われないな?」
「副隊長の座を、まず争わせてるからな! それに、僅差でやっぱ俺の方が強いし?」
「知ってる。けど侮るな。相手が相手だからな。なるべく、僕とお前とでカタをつけたい」
「他は雑魚の片付けか。あっ、そういえば外にいるあの綺麗な姉ちゃんは一体」
「まずは仕事だっつってんだろ色ボケ。とっとと行くぞ」
「・・・・なんかさ、さらに口、悪くなってねぇ?」
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