第五部 月下の剣戟 「そろそろ来る頃か。ふむ」 ウェイズは宿屋にいたときと全く変わらない格好で、墓石の一つに腰掛けていた。そのまま、ぶらぶらと足を揺らし、ときたま近くの墓石を蹴りつける。なんとも、死者を冒涜しつくすようなその態度。 「・・・・」 「なに、お前に今のところ、危害を加えるつもりはない。安心しろ」 「・・・・おい」 「ガキ、黙りや」 「お前が黙れ」 墓石の一つにがんじがらめにロープで縛られているリックを蹴りつけようとした盗賊の男が、ウェイズに氷のような一言を投げかけられて、縮こまる。 リックはそんな男をちらとも見ずに、むしろウェイズの一言で固まったまま動かないのをいいことに、堂々とロープの結び目をほどこうとし始めた。 「無理だろう。たとえ旅慣れているとはいえ、子どもが、なんの道具もなしにそれをほどこうなど・・・・あ、いや」 ウェイズはおもむろに立ち上がった。ぴくりとリックの肩が跳ねる。すたすたと近づいてきて、リックの正面にしゃがみこんでウェイズは、なんの感情もこもらない声でこう言った。 「手足という道具があるか。ふむ。面倒だ。危害は加えてはいけないというのに、道具を・・・・手足を奪うということは、危害を加えるということになるのか。ああ、面倒だ」 言いながら、どこからともなく短剣を取り出し、勢いよくリックの顔の左脇へ垂直に叩きつけた。墓石に突き刺さった短剣は、月の光を不気味に反射させている。 「面倒は嫌いだ。だから、おとなしくしていろ」 「・・・・ちゃんは」 「うん?」 短剣を構えられた瞬間、リックは今度こそ死ぬかと思った。むしろ、今まで意識が戻ってからずっと反抗的な態度をとってきているというのに生きているということが、奇跡のようだった。・・・・この、狂った男の前ではなおさら。 「姉ちゃんは、来れないさ」 「なぜそう思う」 「アルシオのやつだったら、竪琴を姉ちゃんに渡すようなマネ、しないだろーから」 「・・・・ふむ」 リックは目覚めてからウェイズによって、サリアがアルシオに聞かされた話とほとんど同じような内容を聞いていた。ただ一つ、ほんの少しだけ違っていたのは。 「私は、あの竪琴で狂う人間の姿が見てみたい。人間は狂えばどのようになるのか、どれほどの種類があるのか、その中に」 『俺がなりえたかもしれない別の狂気があるのかどうか』。 ウェイズは別に、国を滅ぼそうと考えているわけではなかった。 ただ、『狂った他人』が見たいだけ。 ・・・・十分、彼は狂っていた。 狂いは、さらなる狂気を生みだす。 その連鎖を、またさらに加速させるため、竪琴を欲する。 人の心を意のままに、奏者が望む方向へ転じる竪琴を。 リックは歯を食いしばっていた。姉ちゃん、アルシオ、頼むからホント頼むから一生かけての願いだから。 どうか、この場に竪琴を持って現れないでくれ。 「・・・・おお」 リックの言葉になにか返事をしようとしたウェイズだったが、突然立ち上がって、墓地の入り口を眺める。 縛りつけられた墓石のせいで、リックは後ろが見えない。だが、旅の間に磨いた聴力で、誰か人間が一人、この墓地に入ってきたということだけ感じられた。それに。 この歩き方、・・・・間違えようもない。 (な・ん・で・わざわざっ!!) アルシオで、ないのだろう。 「・・・・リックは、どこでしょうか?」 この場にあまりに不似合いな、おっとりしたサリアの声が響き渡った。 「バッッッッッカ姉えええええ!! なんでどーして来たんだっつーか本当に姉ちゃん一人なわけ!? あの埃まみれは!?」 「埃・・・・? アルシオさん、ですか? アルシオさんは来ていませんよ。私一人です」 リックは絶句した。ついで、がっくりと項垂れる。最悪だ。 「踊り手サリア、その革袋に、入っているのか」 「はい、当然です。えっと、お渡ししたいのはやまやまなんですが、とりあえずリックの姿だけでも」 「姿と言わず、この場で彼を解放しよう」 そう言って、ウェイズはスラリと腰のベルトにつけていた鞘から、あの両手剣を・・・・やはり片手で抜きはなった。刀身がすべて現れた瞬間、一番近くにあった墓石めがけて斬りつける。ガゴンッ! というすさまじい音に続いて、墓石がガラガラと崩れた。そして、その影にいたのは。 「あ、リック!」 ロープの残骸を辺りに散らばらせたまま、リックは呆然と自分の体を見下ろしていた。ウェイズが墓石に斬りつけたとき、ああ自分も真っ二つどころか細切れになるな、と本気で思った。先ほどの短剣など、比ではない。 「少年、立て。早く行け」 冷徹な声が響き、リックのすべてを芯から揺さぶる。リックはいいようもない恐怖を感じて、よろよろと立ち上がりサリアめがけて走り出した。 「リック、よかった。怖い思いしたわよね。でも怪我してなくてよかった」 「なるべく元気なまま、と言っていたな。なるべくどころか、怪我一つしていない。踊り手よ、お前が言っていたよりもずいぶん、少年は優遇してやったぞ」 「それは、ありがとうございます」 皮肉返し、というより、サリアの方は本心から礼を言っているようだった。 「姉ちゃん盗賊相手になに真心こめて礼してるんだよ!」 「あら、どんな人相手でも、真心は大切よ、リック」 「だ、あ、ら、状況をよく見ろってんだよ姉ちゃん! 助けに来てもらった俺が言える台詞じゃないけどな!」 ガミガミとリックがさらに怒鳴ろうとするのを無理矢理抑えて、サリアはぽんぽんと肩から提げた革袋を叩いた。 「では、交換ということで」 「・・・・ふむ」 ウェイズは物足りなく感じていた。実に、実につまらない。宿屋で相対していたときは、何かあると確かに思ったのだが・・・・。 盗賊たちに、逃げないよう囲まれて、それでもサリアはマイペースを崩さなかった。しまいにはリックを放り出し、ごそごそと革袋から竪琴を引っ張り出そうと躍起になっている。 「ああ、やっと出てきました」 そう言って、サリアは引っ張り出した竪琴を、両手で高く掲げ持った。盗賊の男たちの目がぎらりと光る。 「ああ、一つ言うが・・・・その竪琴、並みの人間では弾けない。名だたる吟遊詩人でさえ、それを弾きこなすには何年もの修練が必要になるほどだからな」 「はい、確かに私では、まともな音を出すことすら叶いませんでした」 ほぅ、と小さくため息をついて、サリアは竪琴を揺らす。 「どこをどう弾いても『ビュイーン』だの『ギィン』だの、竪琴とは思えない音しか出せなくて。・・・・残念でした」 「では、渡してもらおうか」 「ウェイズさんは、弾けるのですか?」 「無論。手に入れ、竪琴に選ばれてから、弾きこなすための修練を積んだ」 「まぁ、それは素晴らしいですね」 ・・・・やっぱり、皮肉ではなく本心からそうサリアは言った。 「では、お渡ししましょう」 姉ちゃん! と駆け寄るリックも無視して、サリアは竪琴を・・・・己の胸の前に構えた。そして、左手でしっかりと胴を掴み、右手を左側の弦から、一気に逆側の弦に滑らせる。ギャギュガガガガギィインッ! と、金属同士がぶつかるようなひどく不快な音が、真夜中の墓場に響き渡った。 「は」 ウェイズは、にんまりと笑った。おもしろい。思っても見なかった展開だ。だが、最高に。 最高に、面倒だ―――ッ! サリアが抱えていた竪琴は、適当に奏でられたその瞬間、淡く光ってぼろぼろと崩れてしまった。ちょうど一陣の風が吹き、砂のようになってしまった竪琴の残骸を吹き飛ばしていく。 呆然とする盗賊やリックの前で、サリアは「あら」と困ったように首をかしげた。 「確かに、お渡しするはずだったのですけれど、風に持っていかれてしまいました。すみません」 これも、皮肉ではない。だが、皮肉ではないことこそが、余計に盗賊たちの神経を逆撫でる。 「姉、ちゃん? 今の一体」 「ああ、リックは小さかったから、知らなかったわね。私、アルシオさんに聞いて、やっとあの竪琴のこと思い出したの」 サリアはくるりと振り返って、リックの両肩に手を添えながら言った。 「不思議な竪琴。竪琴自身が選んだ人にしか奏でられない、とても美しい人の心を動かすもの。けれど、ね。資格のない・・・・同一人物が、何度も何度も奏でようとすると、竪琴はその扱いに耐えきれなくなって壊れてしまうの。私はもう、宿屋で何度か試し弾きしていたから、最後の最後に勢いよく・・・・」 「壊したと。あの竪琴は、もうないと」 ウェイズの低い声が、その場を支配する。さすがに、全方向から盗賊たちの殺気を受けて笑っていられるほど、サリアは図太くない。顔を青くさせて、リックの体を抱き寄せた。 「ああ、そうだ。お前たち、あの荒れ地の部族の生き残りだったか。なんたる偶然。まったく、あの竪琴を見つけたときには大いに喜んだものだが、全く、本当に」 面倒だ・・・・。そう何度もくり返して、ウェイズはぶらぶらと剣を振り回した。そして、ダンッと地面を蹴り、一瞬にして二人の前に立つ。 「もういい死ね」 剣が、絶対的な重量を持って、二人の頭上に―――。 ガキャアッ 「・・・・あ?」 「そうそう、舐めないでもらいたいですね」 マントも帽子も取っ払った、かなり身軽な格好のアルシオが、三人の間に飛び込んできた。ウェイズが振り下ろした剣は、アルシオの構えた剣によって軌道を逸らされ、地面にめり込んでいる。 「ああ、面倒だ。だから、嫌いなんだ。面倒は嫌いだ。この、ガキが、ガキが、死に損ないが」 「それが? あなたに嫌われたところで、むしろ感謝したいぐらいです」 アルシオは薄く笑って、剣を繰り出す。その背を凝視して、リックは呆然としていた。 「え、な、アイツ、一体どこから?」 「ずっと、隠れてもらっていたの。私が竪琴を壊したら、皆さん一緒に、って」 「皆さん?」 リックが首をかしげると同時に、墓石の影から素早く、七つほどの影が飛び出してきた。影はそれこそあっという間に、辺りを包囲していた盗賊たちを倒していく。月明かりの元、彼らの装備する銀色に輝く胸当てと篭手に刻まれた紋章を見て、リックはぎょっとした。 「ちょ、姉ちゃん、あの人たち、俺の見間違いじゃなかったら・・・・オリティアの、正式な警備隊の人たちじゃ」 「ええ、そうよ。なんでもアルシオさんのお知り合いがいたらしくって、その人に頼んで、隊の人たちをちょっとお借りしたの。もちろん、そのお知り合いも来てらっしゃるはず・・・・」 「バーソン、ってぇんですがね。サリアさん。お、お前がリックか」 二人の背後に忍び寄っていた盗賊二名を吹っ飛ばして、同じく胸当てに篭手という、警備兵の中でも最も軽装備姿の男が話しかけてきた。精悍な顔つきで金髪を短く刈り込んでおり、にっとした笑いがよく似合う男だった。 「それじゃ、俺もアルシオのところに行きますか、っと」 そこで、バーソンは再度剣を振るう。なんとかこの時間帯に召集をかけられた六人の精鋭たちをもくぐり抜けて襲ってくる盗賊たちは、なかなかしつこかった。思わず舌打ちをする。これでは、二人を守るばかりでアルシオの応援にいけないではないか! 一方、アルシオはそのまま一人ウェイズと剣を交えていた。ウェイズの持つ両手剣よりも軽く、間合いも狭い。小回りが利くぐらいが利点の剣で、アルシオはウェイズと対等に斬り結んでいた。 「邪魔だ、面倒だ。とっととくたばれ」 ウェイズは竪琴が破壊されてからというもの、ずっとこの調子で、壊れたように同じ言葉をくり返していた。 「いいえ。僕はくたばったりしません。少なくとも、あなたに斬られるのだけは御免です」 そう言って、アルシオはウェイズのふところに潜り込む。フードが煽られて、一瞬、ウェイズの素顔が見えた。漆黒の髪に、薄い銀色の瞳。その銀色は、ただただ狂気に揺れるばかり。 「死ね。ガキ、ああ面倒だ・・・・」 「それほど面倒なら、終わらせてやります」 ザシュ、と。 あっけなく、すべては終わった。 さわさわと、柔らかな風が草原を通り過ぎていく。そこへ、一台の荷馬車が通りかかった。ゆったりとした速度で移動するそれに乗るのは、帽子を被った青年一人、舞手の衣装に似た服をまとう女性一人、リュートと笛を抱えている少年一人。 アルシオ、サリア、リックは、翌日オリティアの町を出た。 「・・・・というかさ、なーんでアンタがついてくるんだよ」 「ええ、旅は道連れ世は情けって、ね。二人の護衛も兼ねて・・・・というか、純粋についていきたいだけなんですけど」 「まぁまぁ、いいじゃないリック。バークもずいぶん慣れたみたいだし」 荷馬車を引く二人の愛馬、バークは、ぶるるっと嬉しげにいなないた。アルシオはそれを見て、笑みをこぼす。 「バーソンにも感謝ですね。やはり、馬がいて荷台があれば、ずいぶん移動も楽になるものです」 「・・・・バーソンって、さぁ。あの人、ものすごい渋い顔してな」 「特に気にしてはいけません、リックくん。これは正当報酬です」 盗賊たちは、残らず警備隊の者たちに取り押さえられた。ウェイズのことは、まぁどうにでもする、と豪語していたバーソンに、それならお言葉に甘えてとすべてを任せて、それでもちゃっかり『盗賊逮捕協力の報酬』と、立場を逆転させてこの荷台を手に入れたアルシオは、やっぱりものすごく腹黒いんじゃ・・・・と、そこまで考えてリックは思考を停止させた。これ以上、この男について考えたくなかった。 「でも、サリアさん、リックくん、・・・・少し、惜しいとは思いませんでしたか? あの竪琴」 ぼそぼそと問いかけられて、二人はきょとんとした。アルシオは手綱を操りながら、咳払いをして続ける。 「あの竪琴・・・・ひょっとすれば、リックくんなら弾けたかもしれないでしょう? あれがあれば、より人々を楽しませることができる、とか・・・・」 「そうでしょうか? 私たちの興行は特に変わりませんし、別に、あれはあれでよかったように思えます」 「そうだ。あんな竪琴なんかに、誰が頼るか。俺の演奏も、姉ちゃんの踊りも、それだけで人を楽しませられるんだからな!」 断言し、胸を反らせるリックに、アルシオは思わず吹き出した。 「そう、ですね。お二人にあれは、必要ありませんね」 くすくすと笑い続けるアルシオに、リックは一気に不機嫌な表情になって顔を背けた。そんな二人を見て、サリアは「あらあら」と頬に片手を添える。 のんびりとした空気の中、竪琴によって巡り会わされた三人は、まだ、旅を続けていく・・・・。 |
素材提供 : Clover様 |