カゲナシ*横町 - アカツキ流転
□ アカツキ流転 □


第二部  官吏ト占者

 深夜。人目のない表通りに、橙色の明かりが灯った。
 と思えば、明かりはすぐさま消え、雲の切れ間から差し込む月明かりだけが光源となる。
 青白く照らし出された世界の中で、橙色の明かり……割れた木片に灯された小さな火の焼け跡を、熱心に見つめている怪しい人物がいた。頭から足首まですっぽり覆う外套姿のその人物は、やがてだらりと木片を持っていた手を下げ、悲壮な声でつぶやいた。

「なんて、ことだ。面倒くさい」


◆  ◇  ◆  ◇  ◆


 蓮火(レンカ)はガリガリと己の小さな爪をかじりながら、乱暴な足取りで大通りを歩いていた。彼が歩いてきた方向からは、もうもうと土埃が舞い上がってきているのが見える。
 この日、もう両手で数えるのも馬鹿馬鹿しくなるほど、蓮火は見知らぬ通行人に激突して、今もまた真っ正面からぶつかってしまった。文句を言いかけた先方も、蓮火の表情を見て口をつぐみ、軽く頭を下げるに留まる。

(馬鹿らしい、ああ、本当に馬鹿らしいっ!)

 ばたばたと長衣の裾がはためき、足に絡む。はらわたが煮えくり返るあまり、動きづらい官服のまま、城下へとやってきてしまっていた。
 そのことが、さらに蓮火の苛立ちを加速させる。

(なーにが不老不死だっ! 存分に金も使い美食美酒を堪能し女もあれっだけ上玉はべらせて、とっとと暴君はくたばりやがれっ!)

 そこまで心の中で絶叫したところで、足をピタリと止める。

「〜〜〜―――ッッッ!」

 代わりに、頭を抱え最大限まで背中を反らせ、声にならない叫びをあげた。周囲の人々は、皆、気味悪げに彼を遠巻きに眺め過ぎ去ってゆく。

「……はぁ、旅支度、しよ」

 次いで、がっくりと肩を落とし、なにもかもを諦め開き直ってしまった様子の蓮火は、近くの旅具店を探した。
 この暁国の朝廷に仕えし官吏である蓮火は、現王暁旺弥(ギョウ・オウビ)よりとある勅命を下された。曰く、

『儂はまだまだまだまだ生き続けるのだ、王として君臨しているのだッ! 褒美はもちろん弾もう、だから、とっとと不老不死の秘法を手に入れてこいッッッ!』

 ……途方もない、話である。不老不死の秘法など、そこらの下町の幼子だって夢物語と信じて疑わない。あるわけがないのだ。それを、どう探せと? いくら褒美を弾むと言っても意味のないことだし、それ以前に、あのごうつくばりな旺弥が本当に褒美を授けるかどうかも怪しいところである。
 かといって、そんなものあるわけがないと突っぱねれば、その場で蓮火の首が床に転がることになる。もっともらしく旅に出て、やっぱり無理でしたと報告しても同じ事。それだけは絶対に避けねばならない。

「さぁ、どうする秦(シン)蓮火。このまま逃げたって、きっとあの王は諦めないだろうし、命令丸無視した上のうのうと生きてることがばれたら、首を刎ねるだけじゃ済まされない……っ」

 今にも死にそうな表情で、今度は逆の手の爪を噛みながら、早足で通りを抜けようとする。
 と。

「もし。そこの官吏殿」

 む、と蓮火がその呼びかけに反応してみれば、声の主は布もなにも敷かず、地べたに直接座り込んでいた。頭から足首まですっぽりと藍色の外套で覆い隠し、見える生身の部分といえば鼻から顎にかけての輪郭と、両手ぐらい。

「占者が何か、私に先見でもしてくれると言うのか? それはまあ、ぜひ開けた明るい未来を教えて欲しいものだ」
「……その様子じゃ、この先絶望しか待っていないと思っているな」
「なに?」

 蓮火が目をつり上げるのと同時に、占者はすっくと立ち上がった。ずいぶんと、この国の人間にしては背が高い。ひょろりとしていて、蓮火の頭の先に彼の顎がある。
 いつの間にか目の前にまで迫られていて、蓮火は思わず飛び退こうとした。だが、素早く伸ばされた占者の手が、彼の右腕をつかみ取る。

「離せっ!」
「そうもいかない。どうやら、あんたが自分の同行者……いや、あんたからしてみれば、自分が無謀な旅の同行者か」

 ぴくり、と暴れていた蓮火の肩が震えた。余計な力を抜き、目をつむって一度深呼吸をする。次の瞬間、開かれた両目には殺意すらこもっているようであった。

「貴様、何を知っている」
「少なくとも、あんたを手助けできるくらいには知っている……はずだ。だが、あいにく名前までは知らない」

 占者はそっと手を離し、頭を覆い隠している部分の外套を払い除けた。ばさばさと適当に伸ばされた焦げ茶色の髪に、不機嫌そうな色を宿す薄い灰色の目が露わになる。

「自分は、道ばたの占者、呂迅(ロシン)。家名は無い」
「……蒼珠宮(ソウジュキュウ)、第三室の筆頭官吏、秦蓮火」
「ほう、つまりはあの蒼珠筆頭か、あんたが」

 占者、呂迅は感心したように目を見開いた。
 朝廷における蒼珠宮の役割は、他の紅珠宮(コウジュキュウ)、黄珠宮(オウジュキュウ)が経済土木軍備などをそれぞれ負担しているのとは別に、国王と共に法を整え、その補佐をすること。または将来の王となる可能性のある公子、公主、才ある童子を教育する、ある意味一番国政に近い宮である。さらにその上には、宰相位を表わす黒珠宮(コクジュキュウ)というものもあるが、大抵黒珠宮へ任官される者は蒼珠宮で経験を積まされている。
 そんな重要機関筆頭官吏が、ここまで若い……いっそ少年と言ってもいいような風貌の人間だとは、さすがの呂迅も考えが及ばなかった。

「ふん、誰もがそういう反応をする。そして、最初は必ず疑ってかかる」

 そんな、心から感心している様子の呂迅のことも鼻で笑い、蓮火は顔を俯かせた。ばりばりと後頭部を掻きながら、呂迅は面倒くさそうに言う。

「ああ、はいはい。まあどうせ自分には官位も何も知ったことではないからな。とりあえず、旅具を買いに行くのだろう」
「え? あ、ちょ、ちょっと待て!? だから待て!?」
「……なんだ、騒々しい」

 くるっと踵を返した呂迅は、振り返りもせずに足だけを止めた。そこへすかさず、蓮火が食って掛かる。

「どうして貴様なんぞが私の旅に同行しようと言い出すのだ!? そもそもそこからがおかしい! 目的は何だ、私の旅について、どこまで知って―――!?」

 ぐ、と占者の背中を指さしていた左腕を掴まれ、引っ張られる。
 慌てて二歩踏み出すと呂迅の顔が、というか口元が、蓮火の右耳のすぐ隣に寄せられて。

「勅命」

 今度こそ、蓮火の動きが、それこそ瞬き一つに至るまで停止した。
 どうして、どうして、どうして。
 私がそれを聞いたのは、たった四半刻ほど前……。

「あ、あと」

 さらに蓮火の体を引き寄せながら、面倒くささを強めた口ぶりで、硬直したままの『彼』に、呂迅は最後の爆弾発言を投下する。


「別に、あんたの体を狙っているわけでもない。よく似合っている『男装』だがな」


 ……一瞬のち、蓮火の絶叫が通りに響き渡った。
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素材提供 : 花うさぎ