カゲナシ*横町 - アカツキ流転
□ アカツキ流転 □


第三部  襲撃者

 パチパチと、目の前で景気よく火の粉が舞っている。
 昼間の官服とは異なる、少し膨らみ気味な旅装姿で地べたに座っている蓮火は、恨みがましそうな目で、正面であぐらをかいている占者を見やった。

「なんだ」
「……結局、ついてくるし」
「それが自分の先見だったものでな。まあ、その胡散臭い『不老不死の秘法』探しとやら」
「無意味だ、不毛だ……ああ、私は今まで、何のために蒼珠宮にいたのやら……」

 そこまで言って、蓮火は膝と膝の間に頭を埋め、しくしくしくとわざとらしく泣き始めた。呂迅は最早慰めようともせず、ちまちまたき火の位置を調節している。
 女性だとバレてしまった蓮火は、そうそう呂迅をそこらへほったらかしたまま旅に出ることができなくなった。暁国の朝廷で働ける官吏は『男』。女は、王の后たちが生活する後宮ぐらいにしか入れない。そんな后たちやその世話をする女官たちも、そうそう朝廷をうろつくことはできない。
 それが、この数百年の間に取り決められてしまった壁。
 その昔、伝説にある暁国を建てた占者の時代には、男も女も関係なく政に携わっていたと文献に残ってはいるが、そんなものを見ても、朝廷の官吏たちは鼻で笑うばかり。

『女になぜ政を任せなければならないのか』
『我々の敷いた道を大人しく通っていればいいものを』
『もし上司が女などであったら……』
『考えたくもない』

 もちろん、このような堅物もいれば、女人の官吏登用を復活させてみるのもいいのでは、と進言する者もいる。現王の治世では、完璧に握りつぶされているが。現王自身、女人に政へ介入されることが酷く癇に障るらしい。

「女だから、どうだというのだ。向き不向きに、性別は関係ないだろう」

 ぽつり、と小さなつぶやきが漏れる。ちょうどたき火に新しい枝が放り込まれ、木と木がぶつかる音で、それもかき消された。
 しかし、この男は耳が良かった。

「あんたは、自身が官吏に向いていると思っているか」

 途端、蓮火は勢いよく顔をあげ、鋭く呂迅の横顔を睨みつけながら、小声で怒鳴るという小技を披露した。

「断言はできない。けれど、向いていないということはないと思う。現に、私は今まで官吏になりたいと、より高みを目指したいと思いこそすれ、官吏の道から逃げようと思ったことは無い」
「一度も?」
「ぐっ……そりゃあ、私も人間だからな。勉強をいくら頑張っても、できずに、……ちょっとは、そう思ったことも……って、は!?」

 何をまだ会って一日も経っていない、薄汚い不審占者にこんなことを吐露しているのか、と蓮火は愕然とし、ぶんぶんと首を横に振って耳を塞いだ。

「私は何も話さん、何も聞こえん、何もせん……ッ!」
「無理だろうそれは」

 呆れたような表情で蓮火を見やった呂迅は、「ふむ、そろそろか」とつぶやき、たき火の中からこぶし大の何かを取り出した。黒こげの炭の部分を適当に手で払って、綺麗な手巾に包む。

「ほら、まんじゅうが焼けたが、食うだろう」
「当然だもともとそれは私が買ったものだ!!!」
「そら」
「?」
「話さん、聞かん、何もせん、だったか」
「あっ」

 蓮火は慌てて呂迅から手巾に包まれた焼きまんじゅうをひったくると、ふてくされた表情でもそもそと食べ始めた。そんな彼女を尻目に、ため息をつきながら、呂迅もふところから小さな巾着を取り出す。

「……貴様の夕食は」
「自分で用意している。というか、その『貴様』というのはやめにしないか。こっちもあんたと話すごとに苛つくから」

 ひくりと頬を引きつらせ、巾着から転がり出た丸薬のようなものをかみ砕きながら、呂迅は蓮火を睨みつける。睨まれた蓮火は、それでも彼の視線にひるまず言い返そうとする。

「ふん、貴様がいくら苛つこうとも、私は一向に構わ―――」
「押し倒すぞ?」

 瞬間、面白いくらいの勢いで蓮火が後退した。やや青くなった顔つきで、口元を震わせている。

「お、おおおお前そーいうのは一切無しじゃ……っ!」
「ああ、まあな。だから安心しろ、本気じゃない」
「冗談でも、もう一度そんなことほざいてみろ。のど笛に噛みついてやる」
「……あんた、人間だよな?」

 呂迅が再度ため息をつくのと同時に。
 がさり。

「ほぉー? こんな山ン中でのんびりたき火たぁ、度胸があるねぇ兄ちゃんら」

 下卑た笑い声を響かせて、破れほつれた服の上に、血のりがついたままの鎧をまとっている男たちが現れた。蓮火の顔から、感情という感情が抜け落ちる。

(旅、一日目にして、野盗と遭遇)

 笑えるはずがない。確かに、蓮火は故郷から王都につくまでの短い旅しか経験したことがない、ほぼ素人の旅人とはいえ、イキナリこれはないだろう?
 野盗たちはぞろぞろと茂みの中から姿を現してくる。三人……五人……八人もいる。そして、皆が皆そろって剣だの槍だの斧だのと物騒なものを抱えている。

「さて、そっちの外套野郎は……占者だな? こっちの身なりよさそうなのはどこの坊ちゃんだぁオイ。傭兵もいねぇみてぇだし、最高のカモだなぁ」

 ゲラゲラと。装備品のぶつかる音と相まって騒がしい。蓮火はその場に硬直しながら、この場をどう逃げだそうと必死に考えを巡らせていた。

「とりあえず、占者のほうは首飛ばしとっか。坊ちゃんのほうは、ひょっとしたらイイトコから絞れるかもしんねーし?」

 野盗たちの内三人が、呂迅のほうへ向かう。残り五人にまわりを囲まれ、蓮火は息を呑み。
 ガッ バキッ ズシュッ
 背後から聞こえた妙な音に、思わず振り返る。
 そこには、野盗たちの体から吹き上がる鮮血を綺麗にかわして、迷惑そうな表情を浮かべたままの呂迅が立っていた。その両手には、野盗たちから奪ったらしい古びた剣と斧。

「剣よりも斧のほうが切れ味あるって、どういうことだ」

 呂迅はふらりと、絶命している野盗をまたぎ、ひょいと軽い動作で剣を放った。それは、それだけの動作からは考えもつかないほど鋭く、速い投げで。

「げ、ぶぉっ!?」
「ぶはっ!」

 二人の野盗の腹を貫き、背後の木の幹へと縫い止めてしまった。残る三人の野盗は、信じられないものを見るかのような目で呂迅を眺め、

「ざ、けんな。占者のカッコしといて、てめぇが傭兵だったのかよ!?」
「そっちこそざけんな。自分は物心ついたときからずーっと、占者だ。見たまんまのな」
「死ねぇえっ!」
「げ、呂迅後ろだっ!」

 まだ茂みに潜んでいたらしい新手の野盗の姿に、蓮火は叫び声を上げる。しかし、すぐさま近くの野盗の泥まみれの手で口を塞がれ、嫌悪に顔を歪める。

(や、やだこれもうなんなんだよっ! こういうときは噛みついて逃げろって母様に言われてたけど、こんな汚いの噛みたくねーっ!!!)

 蓮火を捕まえている者を除き、残りの野盗たちが四方から呂迅に向かって飛びかかる。突き出されたそれぞれの獲物が、占者の体を貫く様を思い描いてしまい、蓮火は思わず目をつむった。
 だが、聞こえてくるのは、彼の悲鳴ではなく。

「がばっ」「うぎゃっ!」「て、めっ」「離せ、オイっ」
「……おい、何お互いにぶっ刺し合ってんだ、お前ら」

 ぱちりと目を開くと、低い姿勢で身を守っている呂迅のまわりで、それぞれ仲間の獲物にのどや腹を貫かれ、呻いている野盗たちが見えた。
 なにやってんだ、ホント。そう思って思わずため息をつくのと、野盗が蓮火を掴む手に力を込めること、呂迅が持っていた斧を振うのは同時だった。血の匂いがさらに濃くなり、頬に生温かいものが飛び散ってくる。

「……は、はは、ああ、もう、本当に」

 気を失っても、いいだろうか?
 呂迅の足下には、彼によって両足の健を絶たれた野盗たちが四人、ごろごろと転がっている。最初に呂迅へにじりよった三人と、蓮火を囲んでいた五人の内の二人、そして遅れて茂みから現れた二人の野盗と、これで彼の餌食になった者はすでに……七人。いや、蓮火の背後で縫い止められ、もがいている二人も含めれば、すでに蓮火を直接押さえ込んでいる野盗しか残っていない。

「ひっ」

 蓮火の頭上で、野盗が震えながらガチガチと歯と歯をぶつける音が聞こえてきた。今にも失禁しそうな勢いで、蓮火は思い切り顔をしかめる。

(今まで、身を守る術を持たない者達ばかり襲ってきた小心者ども、ということか。まあ、それにしたって仲間をこれだけやられれば、おののかない方がおかしいか)

 どすっ、と呂迅は斧を柔らかい土の上にめり込ませる。その柄を握ったまま、ゆっくりと、震え上がっている野盗とそれに捕まったままの蓮火へ近づき。
 斧の柄から手を離した。

「「はぁっ!?」」

 蓮火と野盗の口から、そっくり同じ台詞……というか、声が漏れる。今の状況で、なぜわざわざ獲物を手放すのか。いや待て、と蓮火は体の震えを押し込めながら思考する。きっと今までのは肩慣らしか何かで、実は最初からその身に馴染んだ武器を何かしら所持しているのかも。野盗たちの武器をわざわざ奪ったのも、自分の強さを強調するためで―――。
 しかし、蓮火の希望は潰えることとなる。

「……やば、時間切れ」

 かは、と口から空気をはき出して、呂迅はよろめき、そのまま地面に両手をついてしまった。
 その姿を見て、蓮火は彼が何かしらの無茶をして野盗たちと戦っていたことを理解し、この先を、簡単に想像する。優秀な占者などいらない。結果は明白。

「っ、の、クソがぁああああああああっっっ!!?」

 左手で蓮火の服の襟首を掴み、勢いよく後方へ投げ飛ばした野盗は、落ちていた仲間の武器―――鋭い棘だらけの棍棒―――を拾い上げ、飛び出した勢いのままそれを呂迅の背中に振り下ろした。


 ばきゃ


「―――……っ」

 投げ飛ばされ、後頭部を木の幹にしたたかに打ち付けた蓮火は、その光景を直接見ることはなかった。
 だが、音だけは、その音だけは、やけに鮮明で。

(なんで、あいつつよかったのに、なんで、じかんぎれってどういうこと、なんで、わたしはいったい、なんで、ふろうふし、なんで、やとうがおそってきて、こわい、なんで、こわいこわいこわいこわいこわい怖いコワイ怖いこわいこわい嫌―――!!!)

 そこで、蓮火の意識は途切れた。
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素材提供 : 花うさぎ