カゲナシ*横町 - アカツキ流転
□ アカツキ流転 □


第七部  果テノ安息

 英高の庵は、それは見渡しの良い場所に構えられていた。一歩外に出てみれば、絶壁。連なる山々、群れなす鳥たち、山間を流れる川に滝。少し下ってみると、水の湧き出る岩場があった。

「何でもアリだな、ここは。時間までゆっくりしてるみたいだ」
「順応能力は高いな。一応、町娘のくせして。こんなへんぴな山、普通の町人だったら癇癪起こしてるが」
「う、た、確かに王都からほとんど出たこと無いのは認めよう。だがな、よくまあ私を指して町娘などと言えるな。私は官吏だぞ」
「……ああ、そういえばそうだっけ」
「忘れていたかっ!?」
「いや、どうでもいいことは綺麗さっぱり、忘れたことすら忘れる性分でな」
「タチが悪いっ!」

 そんな軽口だらけの会話を続けながら、二人は適当に果物やきのこ、木の実を採ってまわった。夕暮時には呂迅が抜け目なく持ってきていた水筒にわき水を汲み、庵に戻る。英高の姿は、まだ無かった。

「完全に日が暮れてから戻ってくるはずだ。死人のような顔してな。蓮火、戸口から離れていろ。ヤツは見境無いぞ」
「はあ?」

 帰ってきて、採集したものを粗い布の上に並べながら、蓮火は呂迅の忠告に眉をひそめた。しかし、その後すぐに意味を知るところとなる。
 呂迅の言ったとおり、日暮れに帰ってきた英高は幽鬼のような疲れ切った表情で庵に入ってきた。そしてそのまま、「ただいま〜」とつぶやくなり蓮火に飛びかかってきたのだ。

「やめろこの変態。戸口から離れてる蓮火の方意図的に狙ってんじゃねぇよ」
「うう、俺もう死にそう、ていうか魂抜けてると思うんだ九割方。ということであっためさせてぇええ」
「頭からたき火に突っ込んでやろうか」

 言って、呂迅は無表情のまま英高の頭を掴み、ずるずると煮炊き用のたき火のもとへ引きずっていった。そこでさすがの英高もびしばしと呂迅の腕を叩いて、懇願する。

「ごめんなさい悪かったですもう蓮火がいる間はしないから! てか、目が本気だなオイちょっと待て焦げる服が焦げてるッ!!!」
「進行具合はどうだ」

 火が燃え移った衣を必死に脱ぎ捨てようとする英高の頭を一発殴って、冷静に処理をしたあと、呂迅は適当な果物にかじりつきながら問いかけた。英高も頭をさすりながら、蓮火のかき回している鍋の中をのぞき込み、答える。
「ああ、型はできた。あとは偽物製作だけど、なーに、あと三日くらいあれば簡単にできちゃうよ。ざっと三十個ぐらい」
「さん……っ!?」

 あまりにあっさりした英高の言いように、蓮火は思わず吹き出しかけた。げほげほとむせるにとどめて、涙目になりながら彼を見返す。
「そんな、簡単に」
「うん、本物だったら手間だけど、偽物だったらいくらでもできるよ? まあ偽物なんだし効力とかほぼ無いけど、行使直後はそれっぽいふうになるって設定しとくか、」

 相変わらずの笑顔でなめらかに話し続けていた英高だが、ふと、そこで口をつぐむ。どこか惚けたような表情で、周囲をキョロキョロと見回し、首をかしげ、目をつむる。

「ん?」
「どうした」

 蓮火の盛ったきのこ汁をすすろうと、お椀を持ち上げていた呂迅は、英高の変化に口調を厳しくさせる。ことが全く把握できない蓮火も口を閉じ、しばらく、妙な静寂が庵を支配した。

「……侵入する者、あり。近くの農村の者じゃない。血の匂いをまとってる。ずいぶん新しい……ああ、ふもとの村が一つ潰されてるな。こっちに近づいてくる。結界に、今、」

 す、と何の感情もこめられていない、英高の灰色の双眸がのぞいた。

「ご到着だ」

 彼の口から、言葉が零れると同時に、庵が揺れた。ずん、と地鳴りのような音と共に、ガタガタと棚に並べられている陶器瓶が揺れる。よろめいて床に手をついた蓮火だが、焦って周囲を見回す頃には揺れはおさまっていた。

「今のは……?」
「英高、庵は」
「ん、もう二重結界くらい、張っておくよ。まったくもー、重労働してきたからすぐに眠っちゃいたかったのに、一体誰さ? ま、普通の人間じゃないのは確かだけど」
「霊師か。お前の結界を破ったってことは、ずいぶんな力の持ち主だろう」
「それにしちゃ気配が雑すぎる。せいぜい、結界破りの道具持ってるぐらいじゃない? どんな道具かは見当もつかないけど。気をつけてね」

 戸口をくぐり、闇夜に紛れて見えなくなった呂迅の背中に、英高はふらりと気楽に手を振った。そして、自身もお椀を置き、億劫そうに立ち上がる。

「蓮火、何があっても庵から出ないでね? これから結界張ってくるから〜。まあ、この砂が落ちきるくらいには終わるかな」

 言って、小さな文机に置かれていた砂時計をひっくり返し、彼も戸口に向かう。
 その姿に言いしれぬ不安を感じ、蓮火は自分でも驚くくらい、女々しい高めの声を出してしまった。

「え、英高!」
「あ、そういう女の子っぽい声で呂迅のこと、呼んでやるといいよ。あいつ絶対喜ぶから」

 振り返った英高は、嫌みのない笑顔を蓮火に向け、ふところに手を突っ込みながら外へ出て行った。と、同時に突風が吹き込み、今まで赤々と燃えていた煮炊きのたき火が、燃え上がる間もなく吹き消されてしまう。
 月明かりに照らし出される砂時計をじっと見つめて、蓮火はその場から動かずにいた。何の音も聞こえない。草木が揺れる音、虫の鳴き声、風が壁にぶつかる音、庵の軋み、そういったもののすべてが張り詰めている。唯一蓮火が感じられる音は、目の前で流れ落ちていく砂の……。

「え?」

 砂時計の砂が落ちきった瞬間、むあっと熱気のこもった嫌な臭いが漂ってきた。気を失ってこの庵に来る前に、嫌と言うほど嗅いできた……錆びた鉄、血液の臭い。

「呂迅、英高……!」

 二人の名を呼んで、蓮火は戸口に駆け寄った。戸に手をかけてから英高の言葉を思い出し、躊躇したのもつかの間、頭を左右に軽く振って、勢いよく開け放った。
 そして、庵の外にいたのは。

「き、さま」
「あぁ? あー、あー! 嬢ちゃんじゃあぁねえかよ、え? んだよ、このエセ占者、女にゃ弱いのよってぇか!!?」

 叫びながら、その血塗れの男苑染は、手に持っていた大きなずた袋のようなものを無造作に放り投げた。水っぽい音とともにべしゃりと地面に落ちたそれは、よく見ると人の形をしていて。

「呂迅」

 小さく息を吸い込み、庵のまわりを確認する。もう一つ、英高の人影は見えない。ひょっとして裏手にいるのか、と少しだけ希望をもった蓮火だが、すぐに苑染に表情を読まれてしまう。

「ああ、あの妙に派手な男の方もな? うぜぇ結界ばっか張りやがるから、ぶっ刺して捨ててきたぜ」
「な」

 とっさに、言葉が紡げなくなる。ぱくぱくと水を求める魚のように口を開閉して、蓮火は開け放たれた戸口に寄りかかった。その、呆然とした姿を見て、苑染は楽しげに、狂笑する。

「は、はは、この五年、占者を逃してから俺もなんにも準備してなかったわけじゃねぇさ……例えば、この体。たとえば、この刀……」

 左手が、先日呂迅が切り裂いた胸の傷をなぞり、右手は握った分厚く重そうな刀を振り上げる。苑染はべろりとそれについた血を舐めとって、かかか……と甲高い声で笑い出した。

「呪術師の実験に協力して、この程度の傷じゃあ死ななくなった。大概の術をぶち壊す刀も手に入れた。あとは完璧な永遠、不老不死……不老不死、ふろうふし、ふろーふし!!!」

 下品な声で笑いながら、背骨が折れてしまいそうなほど体を仰け反らせる苑染の姿に、蓮火はぼんやりと思った。

(ああ、こいつはもう、戻れぬところに逝ってしまったのだ。生者は決して、越えてはならない向こう側へ)

 気付けば、血の臭いがさらに強まっていた。じりじりと、苑染が蓮火に、というか英高の庵に近づいてきているのだ。

「そこ……なんか、あんだろぉ? 体がざわざわするんだよぉ、永遠が、手に入るんだよぉ」

 ぶん、と振り上げられる刀。蓮火ができた抵抗らしい抵抗といえば、その場に崩れ落ちて、僅かにでも、刀に斬られる瞬間を遅らせることだけ……。
 けれど、たったそれだけのことで、すべてが間に合った。
 刀が振り下ろされると同時に、頬に別方向から吹き付けてきた風を感じて、蓮火は伏せていた目を素早く上げた。その風に乗って、生温かくトロリとしたものが数滴頬に飛び散るが、気にならない。

「あまり、本家本元不老不死を舐めるな。小僧」

 苑染と同じように鮮血に身を染めた呂迅は、親指と四本指に分け、両手で刃を挟むようにして押さえ込んでいた。そのまま、ぐいと刀を引っ張り、つんのめった苑染のみぞおちにつま先で蹴りを入れる。
 刀を手放して吹っ飛ばされた苑染は、しばらくごろごろと地面を転がっていたが、先ほどまでの鈍くさい動作とは裏腹に、素早く起き上がって体勢を立て直す。

「ちぃっ、てめぇ、細切れにしてやらぁああっ!!!」
「しつっこいんだよ、理を捨て、妖魔に躯も魂魄も売りやがった外道が」

 息を呑む蓮火の前で、術破りの刀を構えた呂迅の姿が消える。途端、庵から少し離れた暗がりから数度、金属がぶつかり合う音が響き、最後に。
 がっ

「やっ」

 終わりの音を拾った耳を押さえ、蓮火はいやいやするように全身を揺すらせた。さくさくと軽い足音と共に、彼女に近づく影にも気付かないまま。

「れーん、か!」
「ひゃわぁっ!!?」

 子どものように呼びかけて、蓮火に近づいた影、英高は、労るように慰めるように、そっと彼女の肩を叩いた。背中をさすり、謝罪の言葉を口にする。

「ごめん、心配かけちゃったねぇ。いや、あの男なかなか手強くて、まさか俺の写し身を瞬殺してくれるとは思わなくて」
「写し身……? そうだ、英高、あいつお前のこと切り捨てたって!」
「うん、それが写し身。そこに転がってるヤツね」

 英高が人差し指で指し示した方を見ると、背格好だけでなく、顔立ちも何もかもが英高に瓜二つの人間が一人、みぞおちに刻まれた深い傷痕から血を流して、その場に横たえられていた。

「双子じゃ」
「なーくーて、あれが写し身。基本的に、写した本人の血と泥を使って作るものでね、写された人はそれに魂をのせて、仮初めの体として動かすことが出来る。あんまり本体と離れちゃうと、魂が元の肉体に戻りにくくなって危険なんだけど、とりあえず危険なところに行くときは、俺、あれ使ってるんだ」
「へぇ」

 現実離れした術の存在に、蓮火はあっけにとられながらも頷いた。しかし、まるで英高本人が死んでいるようで気味が悪いとつぶやくと、英高は苦笑しながら、写し身を土に帰した。

「さて、呂迅の方は、どうなったかな……」
「私にも、行かせてくれ」

 震える両足をつねりながら、蓮火は必死に立ち上がる。英高は少し迷った様子で視線を泳がせたが、やがて蓮火の片腕をとり、彼女の体を支えながら、呂迅と苑染のいる暗がりへと向かった。

「……英高、あとは、頼む」

 近づき、呂迅と思われる影の輪郭が見えてくると、影は振り返ってそう言った。英高はふところから丸薬のようなものを取り出すと、平たい石の連なった首飾りの一部にこすりつけ、影の足下に向けて放り投げた。丸薬はたちまち、ぼんやりとした橙色の光を帯びる。

「閃光弾応用編、ってね」

 英高は蓮火の腕から手を離し、呂迅のさらに近くへと向かう。丸薬の明かりは、その間にも照らす範囲を広げ、呂迅の向こうにいる苑染の姿も、はっきりと見えるほどになった。

「う……」

 苑染は、あの術破りの刀で眉間から下あごまでを正面から串刺しにされていた。血の吹き出る音がしなかったのは、切り裂かれたのではなく、貫かれたから。呪術師の手で肉体を強化したといっても、さすがに、頭蓋を真っ二つにされては生きられるはずもない。
 だが、苑染はそれでも、だらだらと血を流しながら生きていた。いや、ぎりぎり、呼吸をしているだけかもしれない。胸はかすかに上下に揺れ、血が流れ込んでいない方の眼球もぴくぴくと震えている。

「こいつ、他にも何か仕掛けられたみたいだね。結界越しに呂迅と蓮火の気配を追い掛けてきたみたいだし……。ま、十中八九妖魔と合成されたんだろうけど。刀の方も盗品かな、こんなに血にまみれちゃって」
「とどめ、は?」
「うん、俺がやる。呂迅はさがっていいよ。蓮火と一緒に、庵に戻ってな。だいぶ、無理して力使ってたろう。実は今にも気を失いそうで、それでも蓮火が見てる手前そんな格好悪いことできないよなーって顔に書いて、」
「しゃべるな頭に響く」

 ぱっと刀の柄から手を離して、呂迅は体を引きずるように、ゆっくりと蓮火の方へやってきた。刀と共に倒れた苑染の脇に、英高がしゃがみ込む。

「……蓮火、あんたは立っていて大丈夫なのか」
「そっくりそのまま返す。私のは単に、緊張に酔っただけだ。お前の方は、全然大丈夫じゃなさそ、」

 目の前にまでやってきた呂迅の衣の襟を掴み、だらりと下げられた左腕をやっとの思いで自身の肩に引っかけ、蓮火は彼と共に庵の中へ帰った。
 ひとまず、二人そろって床に倒れ込み、蓮火の方は理性を総動員させて再起動、残ったわき水で湯を沸かした。棚から治療用の清潔な布を幾つか取り出し、湯でしめらせる。そのうちの一つで自分の顔についた血を拭い、他のものは籠に入れて呂迅のもとへ持っていった。

「呂迅、傷は」
「ああ、もう、塞がっている……。だるいだけだ」

 それでもずいぶん血を流したためか、呼吸音は小さく、血色も悪い。とりあえず蓮火は、自分の手に負える部分を探して、彼の体にこびりついた血を必死に拭い取った。ボロきれ同然となってしまった上の衣も脱がせ、躊躇しつつ、ほとんど千切れていた胸のさらしも全て取る。
 俯せにする体力も腕力も残ってはいなかったので、彼の体を仰向けにしたまま、胸についていた血も拭っていく。すると、ちょうど中央、鎖骨のくぼみから指一本分下がったところを拭ったとき、妙な違和感があった。

「なんだ?」

 赤黒くなった布をどけてみると、ちょうどさらしでかくされていた部分に、およそ人の身にはあり得ないだろうものが埋め込まれていた。

「……これは、石?」

ぼんやりと白濁しているつるりとした質感の、まぎれもない石。いや、石と言うよりは宝玉というのに近い。もやのようなものがその中をうごめいており、たまに、ぴかりと光が漏れ出す。
 知らず、蓮火の手は石に触れていた。指先でつついたり、軽く撫でたりしてみる。軽く首をかしげたところで我に返り、ゆでだこのように顔を赤くさせて飛び退いた。

「すっ、すすすすまないっ!!! いや身動きできないから触っても大丈夫かなとかもっと近くで見てみたいな結構綺麗だなんて石なんだろうとか、おおぁもう私は何を言って!?」
「……いや」
 なぜか、謝られたのに不満げな様子で、呂迅は自ら動き、新しい布を手に取った。脇腹や腕の裏側などを丹念に拭き、最後に起き上がってあぐらをかいたまま、蓮火に背中の汚れを取って欲しいと頼んだ。
 何も考えないように何も考えないように、と必死に念じながら、蓮火はごしごしと力任せに呂迅の背中をこすり続けた。摩擦ですぐに赤くなってしまうが、そこでも不老不死の力が働くのか、すぐにまた綺麗な肌色に戻っていく。

「……おい、自分は別に垢すりを要求してるわけじゃないんだが」
「えっ、あ、ああスマン!!!」
「といってさらに力を込めるな!? 痛いものは自分でも痛いんだっ! ああもう血とか泥とか取れただろう!?」

 回復してきたのか、起き上がったときよりも俊敏な動きで振り返り、呂迅は不機嫌丸出しの表情で蓮火の手首を捕らえた。同時に、蓮火の目には再度あの胸元の石が飛び込んでくる。

「……なあ、呂迅」
「なんだ」
「それ、えっと、その……胸の、石って」

 しどろもどろになりながら蓮火が尋ねると、呂迅はまるで酢を飲んだような顔つきになり、掌で石を隠しながらつぶやいた。

「装飾品だ」
「そんな自虐的な装飾なんぞ手出さんくていいわっ! 完璧にめり込んでるじゃないかっ!?」

 ぎゃあぎゃあと、つい四半刻前まで殺し合いをしていた、見ていたはずの二人は、威勢良く口げんかを始めた。しまいには血を吸った布を投げつける始末。
 苑染の最後を処理してきた英高は、自身の庵の戸口をくぐるなり、正面から何かが飛んでくる気配を察知して、素早く横に飛び退いた。彼が綺麗に回避したのを見て、呂迅がこれ見よがしに舌打ちをする。

「おやま、二人とも仲良さそうだね。呂迅はさらしもとっちゃってる、し? あれ、よかったの?」
「不可抗力。蓮火がさらしまでとったから」
「ぶっ!? だ、だって切り裂かれて血塗れのさらしなんて、巻き付けたままにしとくの見てる方もしてる方も嫌だろう!」
「それとこれとは話が別、ということで」

 にこやかなまま蓮火の言い訳を打ちきった英高は、「ちょいと失敬」と一言言って、彼女の準備していた布を一つ手に取り、広げて顔から首にかけて素早く拭いた。

「あー、ちょっとさっぱりした。うん、にしてもよかったね〜呂迅。頑張って戦って勝って、数百年来の初恋相手に体拭いてもらえちゃって、きゃー」
「………………英高……」

 硬直している蓮火の体を押しのけて、呂迅はゆらりと英高に詰め寄った。詰め寄られた方は、冷や汗を一筋垂らし、一歩後退する。さすがに、今言うのはまずかったかもしれない。だが、ここで引っかき回さなくては自分らしくない。ぴん、と英高の中で計算が完了する。

「い、いや、でもさーもうそこまで見ちゃったら運命?ってことで! いやーっはっはっは俺の先見ひっさしぶりに当たったしさー! っ、あとは二人でドーゾッ!!!」

 ついに殺気に耐えられなくなった英高は、あっという間に庵から飛び出していってしまった。二人が庵の中に残される、というのは今日の昼間と同じ状況だが、流れる空気が違う。

「……英高の、先見? 数百、年来で……えと」
「…………はぁ、だから、あの馬鹿は」

 盛大なため息と共に、呂迅は戸口脇から引き返してきて、蓮火の隣に座り込んだ。
「蓮火」
「は、ああ?」
「自分は不老不死だと言った。それならば、自分は、一体どれほどの時を生きているのか……気にはならないか」

 言われて、蓮火はふと冷静さを取り戻した。そう、彼が紛れもなく不老不死だというのなら、まさか見た目の通りの年齢というわけでもないだろう。それに、つい先ほど英高は『数百年来』と口走っていた。

「……ひゃ、百五十歳……くらいか?」
「それじゃあ数百年とは言い難いが。……八百年、自分は不老不死と、この石を守護するために生き、放浪している」
「は、ぴゃ!?」

 最早ヒトの生きる年月ではない。樹木のそれではないか、とツッコミをいれようとして、静かな水面のような呂迅の瞳とかち合い、言葉を失う。

「化物だと思うか? ヒトの形をとった、異物だと。まあ実際、異形の存在ではあるがな」

 自虐的な言葉に、蓮火の記憶の片隅で何かが開けた。

「……いや、お前は、ちょっと傷の治りが早い、道ばたで客を待つ占者だろう」

 言って、そっと片手を呂迅の頬に添える。ひょんなことから、同行人となった変わり者の占者。強くなったり、弱くなったり、飄々としているようで、ずいぶん重そうなものを背負っている。

「まあ、まだ会って十日も経っていないが。お前はその体質を除けば、化物でも何でもない、人だと、私は思うが」

 首をかしげてさらに言ってやれば、不意打ちで腰を抱き寄せられた。そのまま膝立ちになった蓮火の胸元へ、呂迅は頭を寄せる。何度か小さく息を吐き出して、彼女の体をより強く、抱きしめた。蓮火はそれを、何も言わずに受け止める。
 ……ずいぶんと時間が経ってから、呂迅は蓮火から体を離した。だが、すぐにまた抱き寄せて、今度はすっぽりと彼女を抱え込むようにしてしまう。

「……自分は、不老不死など、望んではいなかった……」

 さすがに恥ずかしくなり、抵抗しようとした蓮火だが、唐突な独白に拳を引っ込める。しばらく悩んだ後、そっと、今度は自分の方が彼に身を預けるようにする。

「だが、どこを占っても……どこに、核を封じようとしても、結果はいつも、自分のいる場所だった。引きはがそうとしても、これは、自分につきまとってきた。そして、しまいにはこのざまだ」

 呂迅の胸で輝く、白い宝玉。人智を越えた秘術、不老不死の正体。
「なあ、呂迅、お前は不老不死になってしまったその時……一体、何をしていたんだ?」

 答えは、もう、出ているようなものだけれど。
 ぼそぼそと耳元でささやかれた答えに小さく頷いて、蓮火は軽く彼の腕を叩いた。


◆  ◇  ◆  ◇  ◆


「ふうん、呂迅、本気で惚れたんだ……まあ、友人兼血の繋がらない不肖の弟としては、心配の種が減ったと言うことで喜んでおくかな」

 夕暮れ時、蓮火と呂迅がわき水を汲んだ岩場にて、英高は一人月を見上げながらつぶやいた。

「あー、昔は本当に、先見がしたくてしょうがなかったんだよな、俺。いざ出来るようになってみると、なんというか、人生つまらないね。自分でもわがままだって思えちゃうよ」

 いつの間にか持ってきていた酒瓶をじかにあおって、頬杖をつく。

「ねえ、オウサマ。馬鹿やらかした俺を止めてくれた、人の良すぎる兄貴は、八百年も経って、ようやく人らしい想い出、増やしてくれたよ。だから、さ? そろそろ、彼女と一緒に眠っても、いい頃だよね? もう、番人なんて、いいよね―――……?」

 水面に映りこむ青い月、それを見つめる英高の視線は、ひどく優しく、悲しげなものだった。
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素材提供 : 花うさぎ