カゲナシ*横町 - Lost and End
□ Lost and End 〜遭遇の章〜 □


Mission:3  捕獲完了?


 からからに渇いた喉の不快さを感じて、忍は目を醒ました。何度か瞬きをくり返し、うなり声を上げて身を起こす。
 周囲を見回して、白と灰色と薄い水色で色づけられた、箱のような部屋にいることを知る。部屋の中央にでん、と置かれた簡素なパイプベッドやら、その両脇にあるやけに引き出しの多い棚やら……見覚えのありすぎるそれらに対し、忍は無意識のうちに舌打ちをする。

「おまけに拘束具ってか。ふっるくせぇ」
「けれど、その古くさい道具でなければ通用しない相手でしょ? 君は」

 おそらくは部屋のどこかに監視カメラでも仕掛けられていたのだろう、そう思わざるを得ないほど丁度よいタイミングで、彼らはスライドドアの向こうから現れた。
 灰色を基調としたシンプルなスーツに軽く白衣を羽織った姿。それだけならばごく普通の研究員と思えるのだが、挙措や言葉遣い、軽薄そうな面影でその印象は相殺されていた。

「初めまして、私はシュヴァルツ。偽名だけどね。ここがどこだかは改めて教えた方がいいのかな?」
「【ALT】関連の基地のどっかだろ。あいつが追いかけてきたってことは」
「……【ALT】の戦闘員を『あいつ』呼ばわりっていうのもすごいね」

 シュヴァルツは肩をすくめると、部屋の中に入ってスライドドアの正面から避けた。そこからぞろぞろと、こちらは完璧に研究員といった空気を纏う男たちが入ってくる。

「君がここに来て、いろいろと検査を受けさせるまで『ノーマル』なんて空想の産物だと思っていたんだけどねぇ……面白いよ、君」
「男に興味もたれても寒気しかせんわッ!」

 両手首にはめられた枷をガッシャンガッシャンと打ち鳴らしながら、忍はベッドの上でふてくされる。

「んで? 見逃してくれるのかと思えば突然追っかけてきて、気絶させて隔離して、このあとは刻んで煮込んで混ぜての実験三昧(フルコース)かよ?」
「そんな、もったいない。まあ血液とか粘液とか皮膚とか髪とか、そういう基本的な遺伝子情報はとっくに回収させてもらってるけどね。そっちは確かに今現在もフルコースの真っ最中さ」

 無表情でベッドを取り囲む研究員たちを押しのけて、シュヴァルツはずいっと忍の顔をのぞき込む。そのあまりの近さに、忍は顔をしかめて仰け反った。

「キモイ近づくな」
「おや心外。結構中性的な顔立ちだろうと自負しているんだけどね」
「男は男だろッ!? っつーか声でモロバレなんだよチックショーこれ外せぇええええ!!!」
「なんて言って無駄だって分かってるくせに。さて、これからどうしようか……いろいろプランはあるんだけど、どの程度まで君の肉体、精神が保つか分からないしなぁ。データ上では培養人間より遙かに強靱らしいけど」
「……体が鋼鉄並に硬いとか、キロ単位で先まで見通せる目を持ってるとか、そんな世迷い言信じてるわけじゃねーよな?」
「体の方は普通だって事確認したよ。視力の方は分からないな。うーん、どうしよう、どうしようかなぁ」

 くるくると回りながら楽しそうにえぐいことを呟き続けるシュヴァルツ、そんな彼のすべてを無視して忍を注視する研究員たち。
 吐き気がした。

「…………」
「おや、とても怖い顔をしているね? うーん、こればっかりはもう少し上の人の指示を仰がないと。もしくはもっとマシな設備が整っている場所へ移送ということもあるし……ああ、その時は私もちゃんとついて行かなくちゃ! なんてったって、未改造純粋培養の生物が目の前にいるんだから!!」

 シュヴァルツは狂笑しながら、「じゃ、面会終了、これから会議ね」といってあっさり部屋から出て行った。研究員たちも、入ってきたときよりは忍のことを気にするような仕草をしつつシュヴァルツに続く。
 と、最後の一人が部屋から出たところで、ひょっこりとシュヴァルツが頭だけ出して、こう言った。

「そうそう、念のため見張りも置いておくよ? 監視カメラとかも幾つか設置してるけど、ね」

 頭を引っ込めたシュヴァルツと入れ替わりに、彼がゆっくりと部屋へ入ってくる。その人物を見て、忍は一瞬目を見開き、苦虫を百匹ほど噛みつぶしたかのような表情を浮かべた。

「クレーズじゃねぇか」

 出会ったとき以上にマシンじみた無機質な空気を纏う、古くさい片眼鏡をかけた少年が、そこに立っていた。



「出せ」
「不可能」
「出してください」
「不可能」
「せめて枷外して」
「却下」
「お、却下ってことは外せないこともないってこ」
「沈黙を要求する」
「……普通に『黙れ』って三文字でよくねぇ?」
「では黙れ」
「きっつ! その無表情で言われるとダメージでけぇ!」

 換気のためのファンによる、ひどく小さな駆動音以外の物音といえば、忍とクレーズによる不毛すぎるやりとりだけ。

「……暇だ」
「……」
「あ、今お前も暇だって思ったろ。だったら外せー枷外せースリリングな展開を提供します」
「反抗的な行動をとった場合、その場で処理せよと」
「そちらさんにとって貴重な『ノーマル』を、そうそう処理していいもんかね? 生きてる間にやりたいこともイロイロあるんじゃねーの」
「…………」
「面倒くせぇなってツラしてんぞ」

 けらけら笑いながら指摘した忍に対して、クレーズはやや視線を下げてボソボソと答える。

「自身の表情に変化は見られないはずであると」
「顔は変わってねーけど、雰囲気は変わってるぞ? ま、初めて顔あわせたときとか、ここに入ってきたときはモロマシンって感じだったがなー」

 言うだけ言って、忍は再度ベッドにごろりと寝転がった。枷と床を直接繋ぐ鎖が、重々しい音を立てる。
 ごく普通の実験体や罪人を閉じこめるならば、適当な部屋に放り込んで生体メモリが誤作動を起こすような信号を部屋の内部に延々送り続け、対象の精神的余裕を刈り取る、という方法がこの世界での常識であった。 だが、生体メモリを埋め込まれていない忍にはその方法は効かず、しかも一般人を遙かに上回る身体能力を持っているときた。よって、投薬や改造中などに被検体を拘束するための器具を改良して使用しているのだが……忍の今現在の処遇は、クレーズの常識では考えられない光景だった。
 しばらくは、忍もベッドの上で大人しく横たわったまま、クレーズは壁際に突っ立ったままの状況が続いた。お互いだんだんと、駆動音が大きくなっているような錯覚を抱く。

「お」

 と、忍が唐突に目を開いた。何事かとクレーズがそちらに視線だけを向けるが、特にこれと言って変化があったようにも思えない。が。

『……ジッ……ジジジ―――……』
「?」

 型番の呼び出し(コール)も無しに接続された通信に、クレーズはほんの僅かに眉をひそめる。音が鮮明になるように何度か調整を繰り返し、通信相手に呼びかける。

「こちらNo.一〇五七六、通称クレーズ。どうされましたか」
『……っほか……―――だった、マシンが―――ッ……ぼうそ―――!?』
「……マシンの暴走?」

 通信先からもたらされた情報に、クレーズは表情に出さないまま愕然とする。
 現在、この施設にはクレーズを含め十数人の【ALT】所属対マシン破壊戦闘員が待機しており、その誰もが、どんなマシンであれ(『【ALT】認定メモリ』を核(コア・システム)に組み込んでいるマシンであろうと)暴走すれば破壊活動(アクション)を起こすよう設定されている。であるにも関わらず、クレーズは今の通信が届くまで、全く、何も反応しなかった。
 思わず考え込んでしまっていたクレーズは、その上室内の異変に気づくことができなかった。かちゃん、と金属同士が軽くぶつかる音を響かせて、忍が素早く上体を起こす。こちらにも、別ルートから通信が送られてきていたのだ。バイクのように、身につけていた通信機器を奪われずにいたのは僥倖であった。

『忍ー、こっちはなんとか脱出成功! 一部の機能の破損は見られるけど、行動するに当たって問題はなさそうだよ』
「オッケー、十分だ、鉄」

 通信に小声で答えながら、忍は細長い奇妙な形をしたピンをリストバンドの中に隠し、枷が外れて軽くなった両腕を軽く振る。顔を上げたクレーズと目が合い、向こうは混乱の絶頂なのか、今までにないほど切迫した表情を浮かべているのがわかった。

「脱出は不可能」
「何度か似たような目にあってりゃ対策もあるもんさ」

 忍はそう返しながら、ブーツの側面に仕込んでいた薄いカードを取り出した。固く閉ざされているスライドドアを隅々まで観察し、左端の部分に緊急解錠用の端末が隠されていることに気づく。

「備えあれば憂いなし、ってな。じゃーな」

 そこを操作し、持っていた偽装カードでもってセキュリティを突破、あっさりとドアを開いた忍はあっという間に姿を消した。
 一人部屋に取り残されたクレーズは、もはやノイズでしかない通信を強引に絶ちきると、いつも通りの無表情に戻って自分がすべき『処理』を、実行に移した。



     コォーン
            カァーン……
 スプレー缶か何かが転がり落ちるような、そんな音を耳にして、通路を巡回していた隊員は僅かばかり眉をひそめた。音の聞こえてきた方へ早足で近づき、万が一を考えて腰のホルスターから熱光銃を引き抜きつつ、角を曲がる。

「何者だ、研究者の脱走なら、もう少しまともなこう、ど……」

 果てしなく続く、淡い光に照らし出された白い廊下。
 その中央……ちょうど隊員から五メートルほどの位置に、それは無造作に転がされていた。見た瞬間に正体を悟った隊員は、顔色を変える。

「でっ……」
(はい、どかーん)

 隊員がやってきたのとは別の通路へと逃げながら、空中を浮遊している鉄は口に出さないまま、心の内でそう呟いた。
 次の瞬間、轟音、閃光、地響きを引き起こしながら、鉄がここに来るまでに設置してきた時限式爆弾が施設のあちこちで爆発した。

「さあ、みんな頑張れー!」

 そしてさらに、鉄の無差別信号によって、連絡系統を狂わされたマシンたち……それこそ、工業用や医療用、雑用マシンに至るまで……が、一気に暴走し始めた。
 なるべく目立たないところに身を潜めつつ、施設内がだいぶ混乱してきた頃を見計らって、鉄は別れ別れになった忍と通信を試みる。通信遮断用の特殊防壁が設置された場所にいる、もしくは通信機器を没収されていた場合、かなり絶望的な状況になってしまうのだが……。

「忍ー、こっちはなんとか脱出成功! 一部の機能の破損は見られるけど、行動するに当たって問題はなさそうだよ」
『オッケー、十分だ、鉄』
(やった通じた!? よーし、じゃ、あとは適当に忍と合流して……何か車を奪って発信器の類を潰してから逃げ出して……アレ? なんかすっごく修羅場だよ?)

 自分たちを取り巻く状況を再確認し、思わず渇いた笑い声を上げそうになる鉄。だが、逃亡者にそんな暇などあるわけもなく。

「機能停止(ダウン)していたはずの、あの『ノーマル』と一緒に捕獲されていたマシンは!?」
「は、廃棄場の方へ移送されたはずなのですが……確認までは」
「D―3研究区画にて、それらしいマシンの姿を目撃した者が!」

「やばぁ」

 ドタドタと施設内を飛び交う隊員たちの言葉に焦燥感を覚えつつ、鉄はむやみに動き回らないで、ただじっと物陰に潜んでいた。
 それも、終わる。

「……っいたぞ!」

 ロッカーの隙間に転がっていた鉄の薄汚れた白いはずのボディを、血走った目をした隊員が発見した。そこへグループ行動していた三人の隊員たちが近づいてきて、確認をとる。

「間違いないな。ったく、こいつが爆弾を?」
「しかも他のマシンに妨害データを送り込んだとか……とっととスクラップにして廃棄送りにしてやろうぜ。報告はそのあとにでも適当に」

 ガッゴゴ ンッガン ドンッ
 唐突に、隊員たちの声が途切れた。どさり、と重い者が床に落ちる音に続いて、鉄にとって聞き慣れた声が響く。

「寝てんのか? 鉄」
「もー忍遅いよ!」

 キュイン、と小さな起動音を立てて、鉄の視覚センサーに薄水色のライトが灯る。両手を振り上げて怒りを体現する鉄を抱き上げながら、忍は困ったような笑みを浮かべた。

「わりーわりー、さすがにデータマップとか、そういうのは没収されててさ。お前の救難信号だけ頼りにして、ここまで来たんだぜ。いやーあんなハラハラドキドキサスペンス! な鬼ごっこ勘弁してほしいわ」
「ていうか、四人も一気に倒すなんて……いつの間に腕上げたの」
「あ、いや、適当に最初の方で気絶させた隊員から、電流警棒かっぱらってよ。それで首とか頭殴ったら、綺麗に。これ使いやすいんだよなー」
「……あー、前まで持ってた警棒、壊しちゃったしね。ちょーどよかったねー」
「待て、お前なんでそこで棒読みなんだ!?」

 小声で軽口を叩き合いながら、二人は即座にロッカールームを離れる。鉄は既に適当な端末からハッキングして手に入れていた施設の情報を、わざわざ通信を用いて忍に伝達した。

『ここは「機械生命体政府軍・辺境第一基地」。地区二十から地区七十までが管轄の基地! 多分、この辺だったら最大規模だね。忍が今までとっ捕まったりした研究所とかとも比べものにならない感じ。そのうち、施設同士隔離されてるところの連絡通路を十カ所ほど同時に爆破しておいたから、そこそこ妨害できてると思うよ』
「そりゃまーずいぶんなところに連れ込まれたもんだ……なあ、俺のバイクとかってどこにあるか、」
『……忍のバイクまでは、クレーズ、持ってきてくれなかったみたいだね。でも、そういった車両の格納庫の位置はダウンロードしたマップデータに記録されてるから、案内するね!』
「おう」

 言って、忍は鉄に言われるがままに施設内を走り回った。時にトラップが仕掛けられた近道となる通路を、わざわざ倍の時間をかけて迂回したりと面倒な場面もあったが、一人だけで行動していたときよりも遙かに敵兵との遭遇率は下がっていた。
 手すりに掴まり、階段を駆け下りるのではなく、一気に踊り場から踊り場へ飛び降りた忍は、足首への負荷を最低限のものにしようと受け身をとりつつ、次の指示を仰いだ。

「で、次はどっちだ?」
『うん、あと一つ踊り場まで下りて、そこの左の扉……忍っ!』
「っ!?」

 本能的に、首筋の産毛がぞわりと逆立つような気配を感じて、忍は鉄をしっかりと抱えたまま、次の踊り場へ向けて、今度は手すりも掴まず一足飛びにダイブした。
 すると、先ほどまで忍がしゃがみ込んでいた場所に、小さな、本当に小さな音を立てて三つほど『穴が開いた』。
 大きさはそれぞれ人間の手のひら分ほどで、縁の部分はどろりと溶け出している。それは、クレーズが岩に向けて放った熱光銃によるものと酷く似通っていた。

「……………………き、きちゃった?」
「…………かも?」

 忍と鉄は、そろって冷や汗を垂らしつつ、イケナイと思っているのだが……振り返ってしまう。
 たん、と軽い着地音とともに、階段に三人の男たちが現れた。クレーズの着ていたジャケットと同じものを身につけている彼らは、皆無感動な目で忍のことを見下ろしている。

「【ALT】かよっ」

 なまじ、ここに来る直前にクレーズの洒落にならない戦闘能力を目撃してしまっていたので、忍は彼らを認識した瞬間に『立ち向かう』ではなく『逃走』を迷わず選択した。
 だが、それでも彼らからしてみれば、遅すぎる。

「対象を発見・捕獲を開始します」

 機械的な言葉と共に、青年が表情を変えないままホルスターから引き抜いた熱光銃を忍の背中に向ける。
 今までにないほどの俊敏さで角を曲がった忍は、一瞬遅れて発射された熱光線によって、背後の壁が綺麗な正方形に切り抜かれたのを見て口元を引きつらせた。

「……なあ、鉄」
「なーに、忍」
「俺マジでここから生きて帰れる気がしなくなってキマシタ!!! やっぱり真面目に移送の瞬間狙って撃破した方がよかったかしら!?」
「いやーむしろ移送するときの方が完璧に【ALT】に囲まれて積みだったと思うよー!?」

 ぎゃぁああああ!!! と乱舞する熱光線に追い立てられながら、しかし忍たちはどうにか格納庫へと近づいていった。



「『ノーマル』が逃げ出した?」
「はあ……それと、あの部屋を見張っていたはずの【ALT】戦闘員も、妨害をしなかったらしく……駆けつけた他の隊員が見るに、争った形跡はこれっぽっちも」
「……へぇえ、ひょっとして、このタイミングのよすぎるマシンの暴走とかも彼が何かやったかな? 例えば……【ALT】を懐柔した、とか」
「ま、まさか!」
「そ。まっさかぁ、って話なんだけど、念には念を、ねぇ?
 ―――発令する」



 長い長い、【ALT】の戦闘員(戦闘のプロ)との追いかけっこの末、どうにかまくことができた忍は、調理場めいた全体的にクリーム色っぽい部屋に飛込み、思わず安堵の息を吐き出して座り込んでしまった。
 忍の腕の中から解放された鉄は、肩で息をしている状態の忍を労るように、平べったいアーム部分でゆっくりと膝をさすった。

「っはぁ、ちくしょ、なあ鉄、格納庫まであとどんくらいだ?」
「だいぶ駆け抜けてきたから、あともう二階分……地下一階にまで行って」
「待て」

 突然言葉を遮られた鉄だったが、しかし忍の真剣な表情を見上げて、言われたとおり黙り込む。
 彼らがここに飛込んできたものとは反対側にあるスライドドアの向こうから、見覚えのある人物がのそのそとした動作でこちらに近づいてきたのだ。

「クレー、ズ?」

 思わず、忍の言葉尻に疑問符がつく。この逃走劇が始まってから、まだ一時間も経過していない。そのはずなのに、クレーズの容姿はがらりと変わってしまっているように思えた。
 出会ったときから無表情無感動無愛想と三拍子そろっていた濃紺の瞳は、それでもこの時代には珍しいくらい澄みきっていたはずなのに……今は、どろり、どろりと暗い何かが蠢いている。

「……『ノーマル』を発見・捕獲失敗の履歴を確認……撃破対象と見なす」
「「へっ!?」」

 クレーズの言葉に、忍と鉄は愕然とする。鉄は、とりあえずマシンである自分はともかくとして、貴重な実験対象である忍に危害を加えることなどないだろうと思っていたのだが。
 いつの間にか両手に一丁ずつ熱光銃を構えていたクレーズから逃れようと、忍は鉄を拾い上げ、低い体勢のままカウンターの裏手に飛込んだ。

「しっ忍意味ないよ!?」
「げっ」

 生きる殺戮マシンと化している戦闘モードのクレーズは、眼球から取り込む映像ではなく、脳内に仕込まれたコンピュータによる熱感知によって周辺を常時スキャンしていた。なので、いくら彼の視界から忍が消えようとも、その体温を感知して位置をあっという間に特定してしまう。
 【ALT】の研究員でもない忍たちはそんなこと知るよしもなかった。が、明らかにクレーズの死角となる場所を駆け抜けながらも、忍を狙って遮へい物を正確に貫いてくる熱光線の軌道を見れば、すぐに彼が視覚に頼っているとは思えなくなる。
 とにかくこの部屋を脱出しなければ、と方向転換しようとしたところで、ガゴン! と忍の背後から金属同士がぶつかり合う音が響く。

「対象を視認」
「……っ!」

 ええい南無三、と心の中でつぶやきつつ、忍は鉄を放り投げて両手を床につき、右足を大きく後ろに蹴り出した。確かな手応えを感じつつ、そのまま右足を横に振って体を反転させる。
 確かに、忍の鋭い蹴りはクレーズの腹部に命中していた。彼は体をくの字に折り曲げながら壁に腰の辺りを打ち付け、気を失っていてもおかしくないダメージを受けたはずだった。
 それでも、うっすら血が混じった胃液を口から吐き出しながら、クレーズは一切表情を変えずに熱光銃を構えていた。

(ヤバ)

 銃口の向きを一瞬で観察した忍は、歯を食いしばりつつ全力で退避行動に移る。二つの銃口はどちらも、確実に忍の体を撃ち抜くように向けられていたから。

「忍、ここぉっ!」

 視界の隅で、ギリギリ忍の肩幅くらいの大きさをした通気口の枠を外していた鉄が両手を振り上げる。そして、忍が反応を返す前に、彼はそのまま足から通気口へ滑り込んでいってしまった。

「おい、ちょ、くろ―――」

 慌ててその白い姿を追いかけようと、忍が通気口に駆け寄ったところで
 キュン、キュインッ

「っづあぁ!」

 左肩を撃ち抜かれ、左太ももの肉がえぐり取られる。一拍置いて吹き出した自身の血液を、忍はぼんやりと眺める。いつの間にか、通気口が目の前に迫っていた。

(頭からいったら、ヤベーよな)

 そう思いつつも、忍は先の見えない真っ暗な通気口に頭から突っ込んでいった。あっという間に、彼の体も闇にのまれていく。
 あとには、熱光銃を構えたまま硬直しているクレーズだけが残された。



 通気口内部に血液をまき散らしながら、忍は徐々に加速しつつ落下していた。意識は飛ぶ寸前で、それでもまだ頭を打ち付けて死亡、なんて結果になっていないのは、この通気口に直角コースが存在していないからか。全体的に見ればほぼ垂直なのだろうが、一部急なすべり台のようにゆるやかなカーブを描いて、忍の落下速度を抑えていた。

(……つか、これ、どこまで落ちるんだ……?)

 ずいぶんと長い間通気口を滑り落ちているように感じた。鉄が言っていた格納庫は確か、地下一階。このペースだとさらに深部へ落ちていることだろう。
 と、ぼんやりしていた忍は、勢いよく目の前の壁に顔面を叩きつけてしまった。鼻の骨がそぎ落とされるような激痛に悲鳴を上げながら、なんとか体の向きを変える。明らかに今までと違う落下の仕方に、眉をひそめる。

「カーブ、が?」

 やがて、焦げ臭い匂いが自身の背中側から漂ってきた。通気口内の壁とこすりあっているベストが、摩擦に耐えられなくなってきたのだろう。
 背中が熱い、あ、やっぱ死ぬかな? そんなことを思った瞬間、ぽーんと狭苦しい通気口から忍の体が吐き出された。ほぼ地面と水平な状態で空中を飛び、数秒もしないうちに重力を受けて床に激突する。

(全身バラバラ、もー動けねーちっくしょー今までふんじばってきた意味ってなんだったんだー)
「……シノブー?」

 ぐるぐると回転し続ける視界と動かない自分の身体へ、ありったけの罵詈雑言を心の内で吐き出していた忍は、自分の名を呼ぶ声にぴくりと反応する。

「鉄、か?」
「ウン、シノブ、ケガシテ、ルー?」
「けっこう重傷に近いけど……てか、なんでお前、そんなしゃべり……っ!」

 かすれた声で答えながら、つばを吐き、必死の思いで身を起こした忍は、一足先にこの空間に辿り着いていた相棒の姿を見つけた。両足と片腕が引きちぎれ、ボディに無数の切り傷のようなものが刻まれた、無惨な姿。

「鉄!?」
「ダイジョブ、ダイジョブ。イガイト、イシキハ、ハッキリシテル、ヨ。ハッセイソウチ、ガ、イカレタッポイ、ケド」

 そう言いながら、鉄は残った左手で、彼の周囲にばらまかれている灰色の鉄板たちを指し示す。

「ヤッパリ、ボクガサキニオチテ、セイカイ。ココ、ネ、ファンガ、トリツケラレテテ、シノブガサキダッタ、ラ、イマゴロ、ミンチダヨ」
「……鉄?」
「シノブ、ウゴケル? マダ、アキラメテ、ナイ? ボクハ、マダダケド」

 がしゃがしゃと左腕を振り回しながら、鉄は無機質でひび割れた人工音声で、しかし強い意志の感じられる言葉を発した。
 そんな『相棒』の姿に、忍はにやっと笑みを浮かべる。

「ったぁく、俺このまま応急キットなかったら失血死するかもなんですけど? つか、鼻とか無くなってねぇよな」
「ボクガミル、カギリジャ、ツイテルヨ。ハナヂドバドバ、ダケド」
「おっけ、ついてるならいいんだ。いくぜ『父さん』」
「ボクハ、クロガネ。シノブノオトウサン、ノ、ジンカクデータ、ヲ、ツカッテルダケ」
「はいはいよ」

 忍は右腕だけで、ずいぶん軽くなった鉄のボディを抱え上げた。もはや痛みなど感じることすらない。全身の痛覚が麻痺してしまったようだ。

「鉄、ここどこだか分かるか?」
「ラッカキョリ、カラシテ、タブンチカノ、サンカイ、カ、ヨンカイカナ。シノブ、コノマママッスグ、デ、ツギ、ヒダリ……ツキアタリマデ」

 鉄が言ったとおりに、忍は薄暗く人気の一切無い地下通路を歩き続けた。施設の隊員や研究員、【ALT】に出くわすこともないまま、彼らはとある部屋に辿り着く。

「…………こりゃあ、また、悪運が強いっていうかよー」
<< Back      Next >>





素材提供 : 月の歯車