□ 第四巻 賢き獣の宴 - 第三章 10.ぱっくり暗闇 心地良かった、あの神官の唄を振り切って、シュリンメルトはただ命ぜられた場所へ向かっていた。 北通りからはすでに外れており、人気の少ない路地を抜けると。 「ふふ、来たわね。シュリンメルト・・・・いーい名前じゃない。ファンシーちゃんとは比べものにならないけど」 「比べられる要素があるのか」 「存在全てよ」 「・・・・無意味な」 「なんか言った?」 目の前でぎゃいぎゃいと漫才をしている男女・・・・イルミカとゴルセディオを見て、シュリンメルトは頭を下げ、ぶるぶると唇を震わせた。なぜ、こんなヤツらに従っているのだろう。従わなければならないのだろう。 「まぁ、いいわ。ディオ、裸馬でも当然」 「乗れる」 「そっ。こいつはあたしが押さえるから、普通よりもでかい馬ってことで扱いはよろしく〜」 そう言って、イルミカはふわりと飛び上がり、シュリンメルトの広い背に横向きに座った。瞬間、シュリンメルトの体も、心も、すべてがざわりと波打つ。次に、ゴルセディオがひらりと身軽な様子で、イルミカの後ろに飛び乗った。 くるな。 おまえらが、のるな。 おまえらみたいな、やつらが、おれの、うえに。 「あら、反抗する気? あたしは別に、さっき見た神官の女みたくあんたと意思疎通なんてできないし、したくもないけど、あんたが何を大切に思ってるかとか、あたしにはダダ漏れよ」 健気よねぇ、とあからさまにバカにした声で、イルミカは続ける。 「毎日毎日いじめられて、それでも動物に囲まれて、励まされて、練習してて。暴れ馬なんて言われて団員の誰も手がつけられなかったあんたに、臆さず接してきた唯一の人間・・・・」 ぶるる・・・・とシュリンメルトは鼻を鳴らし、体を震わせた。 生まれたばかりの頃はそれこそ暴れ馬などではなく、至上の名馬としてシュリンメルトは扱われていた。だが、いつからだったろう。己を利用しようとする人間をことごとく睨み、蹴散らし、近づくことさえ許したくなくなった。初めの頃こそ「気位の高い黒馬」と言われ続けていたが、いつしかそれは「残酷な暴れ馬」にとってかわり、名前も変えられた。 ・・・・別に、名前に特に意味はなかった。あの者がそれを聞いて、こう言うまで。 『「暴れ馬」っていう意味なの? ぼく、全然そんな風に思わないよ』 所有者を転々として、今のこの一座に落ち着いてから、檻の中からさんざん見てきた。立って歩けるようになったそのときから、様々な芸を仕込まれて、しかし誰よりも上達しなかった。やがて年頃になって、同じ年代の者たちから軽んじられるようになっていった。 落ちこぼれ、と言われて、それでも決して彼らや団長の娘や、自分たちの前でさえ涙を流そうとしなかった。 『シュリンメルト・・・・じゃ、僕が別のあだ名つけてあげる。君の毛並み、真っ黒でふわふわだからー、うん、―――! ウェイ爺に聞いたんだ。『夜の森』って意味。あ、でもコレ僕たちだけの内緒ね。僕と君と・・・・他の動物たちがいるところだけで』 名前などに意味はない、そう思っていたものが、あっさり崩れた。 他の動物たちの前でも呼ぶなと尊大な態度で言ってみたら、あの者は一瞬驚いて、それでもすぐに笑って頷いた。大いに満足していた。たかだか名前、一つなのに。 「・・・・ホント、あんた馬の割に思考深すぎるわ。いっそ気の毒な程ねぇ? 望みもしないのに精霊の力なんか植え付けられちゃって。天界にも魔界にも属さない。けれど普通に地上で暮らす動物でもない・・・・そう簡単に死ぬことも、ない」 にやにやと背中でイルミカが笑いながらつぶやいた。その細い、いっそ不健康に見えるほど白い指先は、シュリンメルトのたてがみを一房つまみ上げ、弄んでいる。 自分はまだ、その精霊力によって魔獣化を防いでいる。だが、自分の意識と体と、どれほど浸食されているのだろう。少なくとも、この馬鹿な人間を乗せてじっとしてしまえるほど、いかれてきてはいるようだった。 シュリンメルトは渾身の力で、後ろ足を跳ね上げ背に乗っていた二人(というか実質横座りしていた一名のみ)を、不意打ちで吹っ飛ばした。 ・・・・べしゃっ、に続いて、カエルの潰れたような悲鳴が一瞬響いた。 二人は走り、一人は宙に浮きながら、黒髪の方に両足を引っ張ってもらいながら同じくらいの速度で移動していた。 「エイルム、お前っ・・・・ちょっとは引きずるこっちの身にもなってくれぇ!」 「だって、これ以上魔力使ってたら本当に倒れそうなんだ。浮いてるくらいならまだ大丈夫だし、そんなに体重もかけていないから、地上走ってる人にひきずってってもらって・・・・」 「それでもさぁ!! 端から見てる光景も想像しててやんなるんだよ。まるで俺、エイルムのこと肩抱っこしてるみてぇじゃん!」 「・・・・ステントラ、少なくともお前はそう思うわけだ。まぁ俺もそう思わないこともないが」 「その二重否定はちょっとココロにさくっとくるよ! 普通の否定でシメよう!」 ガイル、ステントラ、エイルムの三人は、情報を知らせてくれた隊員と別れた後、超特急で北通りの方へ向かっていた。裏道を突っ切り、いつの間にかできていた薄暗い不法投棄場所をくぐり抜け、もう目的の場所・・・・レイドとカッティオの二人が担当していたという地区のすぐそばまで来ていた。 若草色にきらめく髪をなびかせ、突っ走っていたガイルは、唐突に立ち止まった。すかさずその隣にステントラも並ぶ。慣性でそのまま前方に放り出されかけたエイルムは、「わわっ」と小さく悲鳴を上げて斜め上へ逃げた。 「どうした?」 「いや、今なんか・・・・」 二、三歩早足で進み、ガイルは耳を澄ませる。もう二、三・・・・ステントラと腕三本分くらいまで距離が離れたところで、ガイルは勢いよく振り返った。 「そこだ」 「ぎゃほぅっっっ!!?」 「ヴィイイイイヒヒヒヒィイイイ!!」 ゴガンッ! とゴーゼンの鍛冶屋で耳にするようなやたらと鈍い音と共に、ステントラの首がガイルから見て右へ・・・・見た感じちょっとヤバイくらい曲がった。そのまま頭から胴、足と順に、首の曲がった方へ吹っ飛んでいく。結局、向かいの家の壁に脳天から激突した。 「邪魔よぉ変、質、者ぁっ!!」 「どわあれが変質者だぁあああ!!!」 ドップラー効果が完璧なまでに現れている女の叫び声に、そのまま気絶したと思われたステントラががばりと起き上がった。どくどくぴゅーと漫画のように鮮血の噴水をあげながら、ビシィッ、と砂煙漂う大通りを指さす。 だが、その指さす方向に標的の姿は見られなかった。ただもうもうと、薄く黄色がかった砂埃だけが舞っている。 「ちっくしょう今の声はあの女ぁあああっ!!!」 「ステントラ、声かれてるよ。っていうかまぁ・・・・あれ?」 ふよふよと宙を漂うエイルムは、片手で持っていた杖をしっかと抱え直して、あたりをキョロキョロと見回した。 「ガイル、いないね?」 「・・・・先、超されたし」 がくーん、という効果音が不気味なくらい当てはまる様子のステントラの肩を、エイルムはポンポンと杖の先で叩いた。なんとも、ビミョーな励まし方だった。 蹄が石畳を蹴っていき、ガツッガツッと鋭い音と傷跡が残される。 その後ろを、前傾姿勢のまま走り、追跡するガイルの姿があった。 「くそ、やっぱ馬は速いな」 そうやや苦しげにつぶやくガイルだったが、彼と前方を駆けるシュリンメルトとの距離はそれほどひらいていない。人の身で、あり得ない速度だった。他人の視点からしてガイルは、若草色の風に見える。 と、彼の頭上を見覚えのあるシルエットが、いくつも通り過ぎていった。あのふわもこ魔獣たちが、シュリンメルトとガイルの向かう方向へ、同じように飛翔しているのだ。「ぎょっきゅー!」「きゅがー!」とやかましい鳴き声が、頭上でひっきりなしに響いている。 このまま剣を抜いてかまいたちをすっ飛ばしてやりたいところだったが、ガイルは何とかその衝動を抑え込み、ただシュリンメルトを追跡することに専念した。最早、ステントラとエイルムのことなど欠片も気にしてはいない。 (『ナイトメアもどき』・・・・けど、後ろに二人乗っていたよな。ってことは、あいつらの言っていた主犯格か) ずば抜けた動体視力で確認した事実を反芻し、ガイルは眉をひそめる。一体彼らは、どこへ向かっているのだろう。 と、視界の先で黒い影が角を曲がった。あれほどの速度を出していたというのに、その姿は一瞬で影へと消える。ガイルはその先の場所を思い至って、若干走る速度をゆるめた。ジャリジャリッ!と、靴底と地面がこすり合わされる。今のでどれくらいすり減っただろう、と思わず考えてしまう辺り、彼もずいぶん呑気な思考回路を持っている。 「ふっふふふふ・・・・あんたがガイルね? さんざん私たちの邪魔しまくってくれたっていうムカツク剣士は。つーかそのペカペカした苔色、目立ちすぎじゃない?」 「・・・・おい、今なんつった。マリモよりも菜っ葉よりも、今なんつった?」 靴の心配をしていたガイルだったが、その女の声に顔を上げ、すとーんとどこかに感情を置き忘れてきたような無表情で睨め付けた。ザ・怒りボルテージ満タンフェイス。 そんな絶対零度の視線を受けている女、イルミカのほうは、怒気も殺気も闘気もさらりと流して、にんまりと笑みを浮かべた。メイクのせいでやたらとつり上がって見える両目が、若干細くなる。間違いなく余裕の表情なのだが、なぜだろう、やたらと腰をさすっている。 「あら、やっぱ気にしてんのそれ? 人間違うところ指摘されると弱いわよねぇーホント。ねぇ?」 「・・・・イルミカ、本当に、悪趣味だな」 イルミカの後ろでは、ゴルセディオがシュリンメルトのたてがみを掴みながら、盛大なため息をついていた。しかし、その姿に隙はなく、いつでも体中に装備している武具を手に取れるよう適度な緊張感が漂っている。 彼らは、フィロット町長宅の玄関前の庭で、巨大な黒馬にまたがった姿で待ちかまえていた。 その頭上で、何体もの魔獣がしきりに甲高い鳴き声をあげながら旋回している。 「ふふふ、まぁとりあえず、言われたことはとっとと遂行させるわ。っというわけで、消えてあんた」 イルミカは人差し指だけを伸ばした両手を自信の眼前にまで持ってきて、二本の指をバツ印に組み合わせた。くるりと指を回し、銀色に輝く指先をガイルに向ける。 「そう言われて、俺は一度も消えたことがないんだがな」 相変わらず無表情のまま、ガイルはスッと腰を落とした。愛剣はとうに引き抜かれ、イルミカの指先とは異なる輝きを放っている。 二人の視線が、気迫が、真っ向からぶつかりあった。キィンと、どこからともなく澄んだ音が響く。そして。 町長宅のドアが吹っ飛んだ。内側から。 「「はぁ!?」」 その爆音に思わずずっこけたガイルとイルミカの声が重なり、ゴルセディオは僅かに目を見開いて驚愕を露わにしている。シュリンメルトはしきりに前足で地面を蹴りつけており、石畳なのになぜか馬蹄の後がついている。 粉砕された玄関から、土埃をまとって颯爽と(?)登場したのは、あまりこういう場面でガイルが出会いたくない人種、それも二名そろって、だった。 「あんたたちがこのおー騒ぎの主犯ねっ!」 「自分らが来てしまったからには、もう言い逃れはできんつーかさせぬぞぉ! このフィロット町長ドヴェリムが、正義の鉄槌今ココに!!」 「父さん珍しく格好いいじゃないのー。かなり決まってるわよ」 「ほ、本当か。ふん、数十年前はこれで幾多の女性を骨抜きにしたものだがな」 「お前ら帰れホントに」 がっくりと、剣を杖にして寄りかかり、ガイルは先ほどのゴルセディオのものより、より深いため息をついた。そんな彼に気がつき、町長宅から飛び出してきた女性の方、ニナは、丸い目をさらにまんまるくさせた。 「あらガイル。そんなとこにいると父さんのコールネイツくらうわよ?」 「それは勘弁、と言いたいんだが、なんでこのタイミングで出てくるんだ。今までどこにいやがった」 「やーねー、見回りがてら私たちも芸人さんたちの興行楽しんでたに決まってるでしょー」 「なかなか見事なものだった。自分としても、もっとあの楽しい時間が過ごしてくれればよかったのだが、しかぁしっ!!」 片手で顎をゆっくりとさすり、目を閉じて語っていたドヴェリムは、唐突にカッと目を見開き玄関前でやや呆然としているイルミカとゴルセディオを勢いよく指さした。 「動物たちの暴走に続き、その魔獣化、このフィロットの『ガレアン』ですら手こずる相手・・・・この夏の盗賊団とはわけが違うと、自分は、今、猛烈に息巻いておるのだっ! 『極彩色の旋風』と呼ばれ幾多の自然を味方としてきた、レンジャー・ドヴェリムの実力をとくと」 「詠唱放棄・暴走爆破」 かなり投げやりなイルミカのつぶやきと共に、再度玄関で爆発が起こった。魔法的なもののため、炎や煙といった爆破につきものな厄介要素は見あたらない。だが、ドヴェリムとニナはその衝撃で家の奥へと吹っ飛ばされたようだった。 「・・・・なんだ、あれは」 「この町の長だ。ま、『変人の町』を『ガレアン』とともに束ねるのに、あれほど似合いな人物はそうそういないだろーな。・・・・今のだって、絶対死んでないし。ひょっとしたら失神程度かも」 ぼそぼそとガイルがつぶやく中で、背後からジャッと砂のこすれる音が聞こえてきた。それと同時に、ガチャン、と鈍い金属音。 「ぃよーう厚塗り、相変わらずいかめしい顔つきだな?」 「ステントラ、根に持ちすぎ・・・・」 やっと追いついたステントラとエイルムは、それぞれガイルの両脇に立ち、構えた。 ステントラの一言に、真っ青になって真っ赤になって、最終的に真っ白になったイルミカは、ゴルセディオの足を遠慮容赦なくひっぱたいた。ゴルセディオの左頬が、びくりと引きつる。かなり痛かったようだ。 「ディオ。あんた接近戦よろしく。あたしテキトーにするから」 「無茶も休み休み言え」 しかしゴルセディオは素直にシュリンメルトから飛び降りた。それと同時に、右手を左脇腹へ、左手を左肩の後ろへ回す。ほんの一瞬のち、彼の両手には長剣と三枚刃のバトルアックスが握られていた。 「やーっと戦闘、って感じだな? 昨日の夜はあっさり逃げちまったけど、ここならそうそう逃げられねーぞ」 「変質者なんかに言われずとも、別に逃げる気なんてサラサラないわよ。あんたたちと『ガレアン』をとっとと潰せばいいんだから」 にま、とイルミカの表情が歪んだのが、合図になった。 ドパァンッ! とステントラがいつの間にか抜いていた、リボルバーが火を噴く。だが、その軌道はあっけなくイルミカの結界に阻まれ、そっくりそのままの向きと威力で返ってきた。 「こんなお返しいらねー・・・・」 「ステンレス、お前絶対あのやたらダカダカ弾の出るヤツ撃つんじゃねーぞ。さすがにアレを反射されたら、生きてる自信がない」 「俺はそこまで非常識じゃないからネッ!?」 ひとしきり叫んでから、ステントラはふとガイルの隣を見た。そこには、先ほどまでいた真紅の煌めきの持ち主がいなかった。 「さて、万全とはいえないけど、仕方ない・・・・」 エイルムはふわりと、杖の先端を飾る真紅の宝玉に手を添えた。宝玉の中心に、魔力を込めて刻まれた魔法陣が浮かび上がる。明るい橙色の光の輪が、二重三重と宝玉を取り巻き始めた。 ふと地上を見れば、あーあと言いたげな表情をしたガイルとステントラ、無表情なゴルセディオに、石にする気ではないかと思えるほど強烈にガンを飛ばしてくるイルミカが。 「テナウォーム」 パッと魔法陣が散り、イルミカとゴルセディオの周囲の地面から、火柱が吹き上がった。「げっ」というこえと共に、味方の二人も距離をとる。少し申し訳なく思ったが。 「強制解除」 イルミカの冷然とした声、とたんに火柱は、現れたのと同じ唐突さで姿を消した。 すーっと音もなく降下しながら、エイルムはイルミカの手元をじっと睨みつけていた。銀色に発光する、あの指先。 「っこらぁエイルム!! お前な、何もこんなところで高位魔術ぶっ放すな!? お前がノーコンとは思ってないがな、そういうのは気分絶好調の時にでもやれ!! あと俺たちの体が煮える!!」 「だって、昨日の夜やりあったときはフレイムじゃダメだったしさ。こっちだったらどーなるんだろうっていう、まぁ半分興味本位? みたいな」 「興味本位で自分の命かけんなよ・・・・」 呆れたようにつぶやき、ガイルはエイルムのマントをひっぱり、後方へ寄せた。代わりにステントラのブーツを蹴飛ばし、まだ熱の残る玄関前、イルミカとゴルセディオのもとに突っ込む。 イルミカは飛び込んできたガイルを、シュリンメルトのたてがみを引くことで後退しあっさりかわした。同時に銃声と、鈍い金属音が連続して響く。ゴルセディオは、ステントラの相手になった・・・・とガイルがさらに深く切り込もうとしたそのとき。 「ガイル!!」 目の前にゴルセディオが移動していた。このままでは、ガイルの体が盾となって、ステントラの銃器が使えない。ガイルは舌打ちをして、剣を繰り出した。ヒュッと小さなかまいたちが巻き起こるが、数時間前のように鋭い刃となって、ゴルセディオの体を切り刻むことはない。 「霊力切れか。しかし、その力に頼りきりのわけでもなさそうだな」 冷静にその状況をつぶやいて、ゴルセディオはごついバトルアックスをくるりと逆手に持ち替えた。長剣の方で、ガイルの剣技をぎりぎり受け止めている。 と、ガイルが踏み込んできたその瞬間に、逆手に握っていたバトルアックスを振り子の要領で振り上げた。顔面をストレートに狙う軌道。だが、ガイルは必要最低限しか避けなかった。ぱっと彼の顔の右半分が、薄く切り裂かれ赤く染まる。血が流れ込み、視界が暗くなる。 だが、ガイルはそのまま長剣をはじき飛ばし、剣の切っ先をゴルセディオの肩口に向けた。そのまま袈裟斬りが決まると思ったところで、ゴルセディオの体が消えた。 「ちょっと、何押されてんのよ」 「いや、アックスをあんな無茶な紙一重で避けられると思わなかった」 おそらくイルミカの援護で転移したゴルセディオは、べったりとガイルの血がついたバトルアックスを眺め、ぽいと地面に投げた。代わりに今度は右の太ももあたりにつけていた円形のものを手に取る。そして、それを片手であっという間にゴルセディオ自身の腰から頭頂部ほどの長さのあるブーメランに組み上げた。そのくの字型のシルエットの外側に、数センチ幅の銀色の刀身が見える。 「見ての通り、刃仕込みだ。当たれば痛いではすまない」 「そりゃそうだろ」 服の袖で顔の血を拭おうとして、やっぱり腕を下げてガイルは残った左目の調子をみた。僅かに感覚がずれているが、気配さえ読めれば問題はない。 ここでようやく、ガイルは周りがやけに騒がしいことに気付いた。気配をざっと探り、背後にすっと剣先を向ける。綿を斬るような手応えと共に、体の両脇から何かが迫った。 「魔獣か」 そのまま振り返り、ギラリと黒光りする巨大な爪が体に食い込む前に、ガイルは真正面の魔獣の腹部・・・・僅かに黒っぽいその場所を斬りつけた。パキャと控えめな音、魔獣の絶叫と共に、すべてがかき消える。 「まったく、なんでそれがバレたのかしらねぇ? 絶対見つかるはずないって思ってたんだけど。ま、気付かれたとしても、そこの天才魔術師とかが一手に引き受けちゃって自滅、っていう展開が有力だと思ったのに」 「それに関しては、あながち間違いじゃありませんよ。ちょっと僕も魔力使いすぎましたし」 「いや、ちょっとじゃねーだろ。かなりハイパワーでぶっ飛ばしてた、はたから見てても」 ステントラは銃器が効かないことに歯がみしながらも、ゆらゆらと地上近くに降りてきた魔獣たちを誘い出して、なんとかエイルムの負担を減らしている。だが、それでもエイルムの表情は、魔術を放つ度に曇っていく。 (まずい) ステントラはやたらこのタッグと魔獣相手に不利だし、エイルムも魔力というか気力、体力の限界が見えている。ちら、と視線を泳がせれば、実に楽しげな表情のイルミカと視線がかち合った。 にま、と真っ赤なルージュのひかれた唇が、三日月のようになった。 (・・・・仕方ない) このまま魔獣をすべて二人に任せておいても、魔獣がすべて動物に戻るより二人が消耗し戦闘不能になる可能性の方が高い。ならばいっそ。 「ステン、あっちの二人ならまだ相手できるだろ」 「な」 脇を通り過ぎざま、ぼそりと言う。ステントラの軽く絶句したような、息を呑むような声が背後から聞こえたと脳が感じた頃には、ガイルの体はがむしゃらに動いていた。 魔獣の群れにつっこみ、そのカラフルな体でイルミカの目を逃れながら、あっという間に石を破壊していく。何体かが危険を感じて上空へ避難していったが、それらにまで気を回せない。とにかく、目の前にいる魔獣の石を砕く。 「・・・・ぅそぉ」 「ああ・・・・」 ステントラ、エイルムの足止めを食らっていたイルミカとゴルセディオは、色とりどりの魔獣たちが消えた庭をやや放心した様子で眺めていた。代わりに庭には、ぐったりと気絶している動物たちが転がっている。 その中心で、若草色の髪を半分ほど鮮血に染め、ガイルが青白い表情で立っていた。 「無茶苦茶だな。一人であの量の魔獣を肩代わりとは」 「火事場の馬鹿力、ってやつ? あーあ、あたしのファンシーちゃんたちがぁ!!」 「お前はそれをいつまで言う気だ」 パンパン、とやや静かなオートの発砲音など欠片も気にせず、イルミカは結界の中でシュリンメルトにまたがったまま、ひたすら悲痛な声をあげていた。そんな彼女に、ガイルが一際冷たい視線をよこす。 「さて、俺を苔色とかほざきやがったこと・・・・後悔するだけじゃすまねぇようにしてやる」 ((あ、そんなこと言われたんだ)) 二人は引きつった笑みを浮かべて、死人そのもののような表情でイルミカに剣を向けるガイルから少し距離をとった。 イルミカは相変わらず「ファンシーちゃーん」などと叫んでいて、ゴルセディオは面倒くさそうにイルミカとガイルを交互に眺めている。ジャ、とガイルの靴が石畳とこすれた。 と。 「まーこっちも仇はきちんととらせてもらうけれど」 今の今まで泣き叫んでいた様子と一転して、イルミカはあの嫌な笑みを浮かべると、素早く十本の指すべてを銀色に発光させ、胸の前で円を作った。ぽん、と弾けるような音とともに、円がくるくると回り、少しずつ大きくなりながら、やや見当違いな方向へ飛んでいく。 その輪の向かう方向に疑問を抱いたエイルムだったが、また、あの不安が心の奥底からわき上がってきた。今度は、昨夜よりもより強い。 「ガイル、気をつけ」 振り返り、エイルムが言いかけたころにはもう遅かった。ステントラも彼の名を呼ぶ。 剣を突き出したまま、彼は左目を最大限にまで見開いて、惚けた表情を浮かべていた。 そんな彼の周囲を、よく目にする、薄く紫がかった濃い色の霧が覆っていく。 霧は一瞬で、ガイルを飲み込んだ。 |