□ 第四巻 賢き獣の宴 - 第四章 11.幻影大放出 真っ暗、というか、何も見えない。自分の体も。目を開いているのか閉じているのかさえわからない。 「なんだ、ここ・・・・」 ガイルはゆっくりと、見えない両手足の感覚を確かめた。とりあえず、意識のみという洒落にならない状況ではないらしい。右手に握っている剣が、きん、と澄んだ音をたてる。 あの時、イルミカは実に楽しそうな表情で詠唱を行っていた。となると、彼女の何らかの魔術に巻き込まれたと言うことは確実である。だが、その先はまったく解析できない。畑が違う。 「面倒だな、どうやって脱出」 しようか、と一人つぶやきかけた、そのとき。 バァンッ パァンッ バァンッ 「がっ」 数度背中を鞭のようなものでなぎ払われ、ガイルは仰け反った。シャツが破けている感触と、痺れるような痛みに混じって、これまた馴染みのある・・・・体を血が伝う感触があった。 ガイルは歯を食いしばり、振り向きざま鋭く剣先を背後に突き出す。だが、手応えはない。一度小さく舌打ちをすると、両耳のすぐ近くからクスクス、という苛立たしい笑い声が響いてきた。 「誰だこのヘタレ。姿もいちいち隠しやがっ」 また、目に見えない鞭が舞う。側頭部に一発、腹部に三発、両足にそれぞれ一発ずつと、駄目押しに背中に強烈な一振り。 こぽ、と半開きになった口から血が溢れた。衝撃で一瞬宙に浮かんだ体は、そのまま地面に叩きつけられる。全身が熱い。血が燃えているかのようだった。 「がっ、あぁ・・・・」 ひとしきり呻いて、ガイルは横たわったまま口腔内の血を吐き出した。口元を手の甲で拭おうとして、片方は剣を握りもう片方は体の下敷きになっていることに気付く。 (とにかく、起きろ) ゆっくり深く息を吸い込み、片目を開く。右目はもう顔の血が固まっていて開けなかった。 ひゅんっ、と空を切り裂く音がすぐ近くを通り過ぎた。ガイルは全身の痛覚をねじ伏せて、剣を構える。何も見えないのならば、とそのまま左目をつむった。ただただ、自分の心音だけが聴覚を支配している。 と。 「ごばぁっ」 悲鳴が、聞こえた。 べしゃり、という生々しい音を皮切りに、周囲から断末魔のものとしか思えない人間の絶叫が響き始める。知らず知らずのうちに、ガイルの手は震えていた。 目を開くな。開くな。見てはいけない。 首筋が痺れる。脳の奥底で警鐘が鳴る。 「十一」 その声が聞こえてきたら、もう駄目だった。 「十二」 若草色が、赤く染まる。ちょうど、今の自分のように。だが、それよりもずっと、濃い。 何も見えない暗闇に、鈍い光が見えた。それは、血の色をしていて・・・・。 若草色の髪をした、少年と青年を照らし出す。 「十三」 ガイルは呆然と、目の前に広がる光景を見つめていた。全身から力が抜け、剣が手を滑り落ち、血に膝をつく。 そんな彼の目の前で、血みどろの剣を振い、あちらこちらで殺戮を続けている少年も、また。 「俺・・・・?」 つぶやいて、慌てて目を覆った。これは魔術。対象の記憶を媒体にした錯乱攻撃。そんなこと。 分かり切っていても。 『・・・・あ』 ふと、懐かしい声が聞こえた。幼い自分が無情に地を走り人を殺し続ける光景から、とても優しい声が。 あまりにも小さくて、気付かなかった。だが、この声は、そう・・・・ずっと聞こえていた。 『な だ ろ くぜ れん ねー よ』 『いじょ で か さは しま から』 「誰だ、おい、なんだよ」 男の声と、女の声。どちらも聞いたことがあるはず。知っているはずなのに。 どうして、こうも怖いんだろう。 いつの間にか、へたり込む自分の目の前に、つい先ほどまで周囲を駆け回っていた幼いガイルが、その背を向けて立っていた。髪も服も手も剣も、全てがどす赤く、どす黒く染まっている。 その、幼い自分の向こう側に、何かが見えた。 「シュルツ」 言葉が口から滑り出てきた。今ここにいる、二人のガイルと同じ、若草色の髪。空色の瞳。 しかし、それもすぐに消えた。同時に、血みどろの戦場も、幼いガイルも、優しい声も。また暗闇に戻ってきた。 凝りすぎだろ、と声に出さず思って、ガイルは立ち上がろうとした。だが、どんなに頑張っても全身が震える。耳を塞いでいた手の片方を下ろして、何も見えない暗闇の中をまさぐる。すぐ、愛剣の柄を見つけることができた。 この、忌まわしい闇の魔術からすぐにでも脱出しなければならなかった。ガイルの精神は、粉々に打ち砕かれる寸前だった。 「ガイル」 自分の体すら見えない暗闇だったはずなのに、目の前に顔がある。それは、ぽん、と本当に唐突に現れてきた。 薄い茶色の髪、健康的に日焼けした肌、少々くたびれ気味の旅装に、腰にはシンプルなロングソードを佩刀している。鳶色の瞳が一瞬、苦しげに歪められた。ガイルはその顔が、先ほど幻影の中で聞こえた優しい声よりもひどく懐かしく思えて。 「覚えてる? 僕はもうはっきりくっきり覚えてるんだけど。というか、まぁそう簡単にガイルの特徴忘れられないしね」 「お、前」 「おっと、どうして僕がこんなところに弾かれてきたのか、とかそういうところ突っ込まないでね。僕だってイマイチ状況把握してないんだ。まったくもう」 ごくりとつばを飲み込む。思わず剣を手放し、両手で両頬をぱんぱんとはたいた。 「・・・・リール?」 それは、記憶と心の奥底にねじ込んでしまった忌々しい過去の中で、数少ない、光の欠片。 ガイルが呆然とその名を呼ぶと、青年は嬉しげに目を細めた。 「正解。さ、僕が無理矢理介入しちゃったから、この魔術も効力を失ってる。脱出するなら今だよ」 「お前、生きてて」 「うん、生きてた。で、なんとかこの歳まで生きてます。ほら、しゃべってるヒマはないよ。それに、外はものすごく面白いことになってるみたいだし」 「いやちょっと待て、このタイミングで現れておいてそのさっぱり感は一体なんだ? ていうかお前はどうやってここから出るんだ!?」 「まぁどうにかなるよ〜たぶん」 にこやかにリールは即答した。瞬間、ガイルの視界がぼやけ出す。リールの姿が、薄れていく。 『それじゃ、しっかりね。こんな状況だけど君も生きてるって分かって、僕も安心したよ・・・・』 そう、リールの声が遠くから聞こえてきて、その瞬間ガイルの意識は途切れた。 あっという間に、視界に色が戻ってきた。ひどく荒らされている町長宅の玄関前の庭の惨状に、今更ながら罪悪感が沸いてくる。しかし、それもとっとと振り切って、完全に覚醒したガイルは、しっかりと自身の足で立った。視界が、広くなる。 そして、妙な光景に腰が砕けそうになった。 「・・・・お前ら、声が出なくなるほど何がおかしい」 彼らはとにかく、笑い転げていた。しかも、げらげらという擬音すら当てはまらない、呼吸困難の一歩手前のような状態で。敵も味方も関係なく、屋敷の中に吹っ飛ばされていたはずのニナとドヴェリムも、玄関口でへたり込み、肩をガクガクと震わせている。 シュリンメルトの方を見れば、イルミカとゴルセディオだけが異なる反応をしていた。イルミカはどどんと胸を張って高笑いをしており、ゴルセディオは嘆くかのように片手で目元を覆っている。 一体何があったのか、自分一人血みどろシリアスでちょっと感動ものの奇跡を目の当たりにしてきたというのに。 「おい」 不機嫌さマックスで、ガイルはとりあえず手近なところに転がっていた真っ黒不審者の背を蹴りつけた。普段ならここですかさずツッコミが返ってくるはずなのだが、ステントラもまた、口元と腹をそれぞれ手で押さえながら震えている。 ガイルは険しくなっていた眉間から力を抜き、すっと剣を構えた。 「いやあのゴメンガイル今ちょっと答えるのは無理ぶふふふふふっ」 「首飛ばすぞ」 「そりゃ勘弁してくれ本当にこれは不可抗力くははえぁはあははははは!!」 話にならない、そう判断したガイルは、ステントラの肩を怒りにまかせて蹴り飛ばし、真紅の魔術師を探した。で、見つけた、のだが。 「お前もかよ・・・・」 「ほ、本当に、ね? ごめ、ガイル・・・・これはちょっと、うん、あ〜収まってきた」 涙を浮かべていたエイルムは、どんどんと自身の胸やら腹やらを叩き、なんとか立ち上がった。だが、やはりまだ肩が震えている。ガイルは呆れかえって、ため息をついた。 「一体、俺があの悪趣味きわまりない錯乱魔術にとっ捕まってる間に、何が」 「あ」 と、ガイルの言葉の途中で、エイルムが目を見開き、ガイルの背後を指さした。うっすらとした気配でなんとなくエイルムの指さすものを理解したガイルは、盛大に舌打ちをする。 「まだ残ってやが・・・・た・・・・」 正直、見慣れすぎていて思わず自分の頭部に、剣を握っていない手をやった。 一瞬ガイルの真後ろにまで接近してきていそれ・・・・ファンシーな姿の魔獣は、彼の背にその爪を叩き込む寸前、地面と垂直に軌道を変更して一気に上昇していった。鮮やかな、それの体毛は輝いている。 春先の草原を満たすのと同じ、柔らかな若草色。そして、その大きくくりんとした瞳は、背景を満たす青と見まごう、空色で。 その、彼とまったく同じ色を宿した魔獣は、獰猛な漆黒の爪を己の体毛の中に隠し、可愛らしく身をひねって「きゅ?」と鳴いた。 「・・・・・・・・」 沈黙がその場を支配した。というか、もう笑えない。笑ったら、たぶん首が飛ぶ。イルミカですら、黙り込んでいた。 がやがやと通りの方が騒がしくなってきた。足音や耳慣れた金属音で、復活した『ガレアン』隊員たちだということは容易に想像できた。だが、ステントラは未だに痙攣している腹部を両手でしっかり押さえながら、来るな来るな頼むから来ないでくれ、と必死に冷や汗をかきながら懇願していた。今ここで何かが動けば、間違いなく、彼が『とぶ』。 「おい」 人が放つようなものとは思えない、無機質な声が響いた。声と共に彼の視線を真正面から受けたイルミカは、少々引け腰ながらも自慢げに笑みを浮かべながら、答える。 「何よ」 「あれは、なんだ」 「私の魔獣よ、ファンシーちゃんよ。見てわかるでしょ」 「そんなことはどうでもいい」 彼は、ガイルはだらりと両手を下ろしたまま、静かに言った。 「俺は・・・・」 そのとき、騒音が角を曲がってやってきた。 「・・・・あ、ガイルさん、ステントラさんにエイルムさんも!」 「援護体勢! 賊もいる、魔獣、も・・・・」 薄汚れてしまった『ガレアン』の制服を来た人間たちが、ぞろぞろと突っ込んできた。だが、彼らは一瞬、その奇抜な色彩の魔獣に目を奪われる。そして、今度は地上に目をやった。 途端、びりっとした緊張感が隊員たちを伝わっていった。特に、先頭に立ってガイルの姿をしっかと見ている者たちは、金縛りにあったかのような錯覚に陥った。 「あれ」 だが、最後尾で、未だ頭上の魔獣を見つめていた若き隊員は、言ってしまった。 「なんだか、ガイルさんに似てますね。やたら可愛いですけ」 「ばぁたれお前」 ちょうど隊員の固まりの中で中央にいた年かさの隊員が、若い隊員の口を塞ぐ。それでも、ときすでに。 遅かった。 (俺は、あれだったのか) 高飛車な魔術師に対する問いは、もう、どうでもよくなった。 「ころす」 しゅる、と霊力の尽きてしまったはずのガイルの剣を、視認できるほど濃い風の力が取り巻いた。 ぎゅるぎゅる、と上空で鳴いていた若草色の魔獣は、一瞬躊躇するような素振りを見せるも、一気に加速してガイルの正面に突っ込んでいった。そして。 ぱぁんっ。 あっけなく、その剣先を向けられただけで、魔獣は破裂した。ぽんぽんと弾けた魔獣の体毛が、空中にかき消えていく。 そして、その魔獣の名残がすべて消えたあと、ガイルは血の気の引いた、まるで死神のような表情で、イルミカとゴルセディオに視線をやった。それにやや遅れて、剣先が向けられる。 「さんざん、人の傷抉りやがって、恥、かかせやがって、コケに、しやがって」 どっ!、と、彼の足下の土が、爆ぜた。 「ぶ、っとばす」 ずいぶんと子どもくさい、最高点どころか完璧に突き抜けてしまった怒りのままに、ガイルは彼らに向かって飛び出した。 まったく持って大人げない戦いが、幕を開けた。 |