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□ 第五巻 輝きし宝の夢 - 第一章 1.穏やかな時間 いつもの黒装束からだぼっとしている黒マントをはぎとった姿で、ステントラは黙々と皿洗いをしていた。中途半端に伸びた髪も、近くで料理をしているから、という理由で様々な髪留めでくくられている。そのどれもが女性らしさに溢れる上品なものであるため、さらに彼の不審者レベルが上昇している。 「ていうかさ、本当に俺って不幸じゃね? まさかココで強硬手段とられて監禁されるとは思わなかったしさあああ!!!」 「黙れ変態不審者。なんならその髪留めごと、毛束をむしり取って円形脱毛症(人工)にしてやるかね?」 「止めて言いながら俺の返答を待たないで一気に引っぺがそうとしないでー!!?」 ステントラは食器を洗いながら、器用に魔の手から逃れた。くつくつと可愛らしい鍋でジャムを二種類ほど煮詰めているアデレーナは、チッとこれ見よがしに舌打ちをする。 「ったく、にしてもずいぶん器用に働くもんだね……どーせ何もできないだろーと踏んでいたのは間違いだったか。いや、ガイルの家で暮らしてんだ。家事系統はある程度できて当然か。くそ、もっと早く気がついていれば、奴隷のごとく使い回してやれたものを……っ」 「あ、アデレーナ様さすがにガイルも奴隷程まで俺を扱ったことはありませぬですよ!? っていうかルーちゃんも聖母のような笑みで俺を見捨てないでーっ!!?」 「うふふふ、ステンレスさんがアデレーナさんによってこれでもかと精神的に追い詰められている様を見るのは享楽……いえいえ、心苦しいものがありますけど、大丈夫です、ステッカーさんなら何とかできると私は信じてます~」 「あああやっぱりこの子に救援なんぞ頼んだ俺が阿呆だったバカだった愚か者だったー!! あと懐かしいネタをアリガトウ俺はステントラね!!」 水洗いを終えた皿をがっしゅがっしゅと布で磨きながら、ステントラはもしハンカチをくわえていたら両手で引っ張って引き裂きたい衝動にかられた。だが今手元にある、濡れてべちょべちょになった布をくわえるのは衛生的にどうかと思うし、まずアデレーナの鉄拳が飛ぶ。 (あーあ、ツケの分まで体で払えとのことだけど、こんな調子じゃ一ヶ月はここに通い詰めだな。つーかティルーナ、俺よりもここで手伝いしてる期間長いはずなのに俺よりずっとミスが多いんだけど) カウンターから、ステントラはテーブルを拭いているティルーナの背を眺めていた。鼻歌交じりに付近を動かしているが、たまに肘が花瓶に当たって、一体いつやっちまうのだろうかと内心恐れおののいていた。今回、アデレーナの近くには自分というサンドバックがある。あれ、自分で言って悲しくなってキタヨ……。 「あー、世界は平和だな~」 「……ああ、そうだね」 意外にも、場違いな独り言に返事があった。少々驚いた様子で、ステントラはジャムを混ぜ続けているアデレーナを見る。 「この間の騒ぎは、本当に危なかったからね。まったく、ここ数ヶ月でだいぶこの町の人間の変人具合もステップアップしてきちまったしねぇ」 「…………」 この間の騒ぎ。 (最近は、本当に妙な騒ぎが多い) それも、並みの人間……《地上》でごく平凡に暮らす人々とは、本来なら関わり合いのあるはずがないものが絡みすぎている。白い小鳥のリシェラ、トールの森に放たれた化け物、そして。 『ねぇ、ステントラ。あの魔術師が使っていた力、君は、どんなものか分かる―――?』 赤い髪の魔術師は、あれを《魔法》と呼ばなかった。ステントラも呼ばない。呼べるわけがない、その理由を知っているからこそ。 あれを《ヒト》が行使していたという異常事態を、正確に理解しているからこそ。 (……どうなってるんだ。《ゼト》なんぞ、本当にただの暗殺集団だったはずなのに) ゆっくりと、皿を磨いていた手が、とまる。 と、ちょうどそれを同じタイミングで、「あ~れ~」とふざけたティルーナの声と、パッリィーン!という実に清々しい陶器の割れる音が。……すかさず隣で膨れあがった苛立ちの気配に、ステントラは数秒前まで考えていたシリアス思考を吹っ飛ばされた。 なんていうか、今現在はやっぱり、平和だ。 ガイルは軽く腹をさすりながら、目の前で行われている稽古を眺めていた。 量産品の、決して質がいいとはいえない鎖帷子に兜、肩当てすね当て肘当てを装備しているフランツ。その正面に、トレードマークともいえる大剣をガイルに預け、特に防具もなしに木刀を構えているネファン。 「はぁっ」 刃の付いていない槍を操り、フランツはネファンに迫った。ネファンは冷静に、木刀を滑らせるように動かす。それだけで、フランツの攻撃はあっさりと食い止められてしまった。 「……剣と、同じように振り回すな」 「う、はい!」 バックステップで距離をとり直したフランツは、息を整え、槍の切っ先をネファンに向ける。つま先で地面を蹴り、軽く槍を揺らしてから一点を突こうと腕を伸ばす。 しかし、そこでネファンが動いた。槍の切っ先を半歩ずれてかわしたかと思えば、すでに彼はフランツのふところの中にいた。いや、突っ込んできたフランツが、招き入れてしまったのだ。 「げっ」 「…………」 思わず顔を引きつらせたフランツに、ネファンは無表情のまま木刀を振り上げた。体勢を再度整えようと、息を詰めて槍を自分の体に近づけようとして。 ゴン ネファンの木刀が、フランツの兜に覆われた前頭部とぶつかった。 「……槍は、自分から飛び込こめば、身の内を、狙われやすい」 「うぅ」 一瞬顔を歪めたフランツは、はたと何かに気付いたように、目だけで手元を見た。槍を順手に握っていた右手を逆手にし、そのままぐるりと槍の切っ先を自分の側へ引き寄せる。左手をすべらせていくと、持ち手の尻の部分が、ネファンの首を狙う。 「…………」 ほんの僅かに眉を動かして、だがその不意打ちに近い攻撃もネファンはあっさり対処した。しかし、その後にフランツにかけた声は、先ほどよりも少しだけ柔らかな印象で。 「今のを、ふところに入られたときに、すかさず行えれば、いい」 「わかりました、ありがとうございました!」 フランツは槍をおろし、一歩後ろに下がって一礼した。かぱっと兜を外すと、汗でぺたりと張り付いた髪が見えた。 「ガイルさんは、まだ動けませんか?」 「そうだな。傷自体はだいぶ治ったんだが、テッドにもミリルにもティルトにも、安静にしていろと言われた。……本当なら、まだベッドの中にいなきゃいけないらしいがな」 「それぐらい重傷だったんですよ。《ガレアン》の皆さんも、よく生きていたなってしきりに噂してましたよ」 「はっ、俺の好敵手がそうそう簡単にくたばるヤツでたまるかよぉっ!!」 すると、近くの民家の屋根の上から、茶髪の青年ヒュゼンが叫びながら現れた。うんざりした表情で彼を見上げながら、ガイルは言う。 「言っておくがな、今俺に斬りかかってくるつもりなら本気で命かけろよ。こちとらまだ貧血気味なんだか」 「分かっている、分かっているとも。つか、今日は俺も得物持ってきてねぇしな」 「珍しいですね。ガイルさんの所に来て、ヒュゼンさんが得物無しなんて」 本気で驚いている様子のフランツが、ヒュゼンに言った。ヒュゼンは「ふん!」と鼻を鳴らし、完璧上から目線でガイルに尋ねる。 「お前がぐーすか眠ってる間に広まった噂を、ちょいとばかし確かめに来たんだよ。ま、発生源からして、広まってるのも『おもしろおかしいから』っていうのがダントツの理由だが」 「噂って、あれですか……」 「…………」 呆れたようにヒュゼンを見つつも、フランツやネファンも同じように、少しだけ興味深そうな表情を浮かべてガイルを見てきた。つい最近外を歩き回れるようになったガイルは、眉をひそめ、頭の上にクエスチョンマークをとばす。 「噂、って」 「え、ガイルって実はめちゃくちゃむっつりエロ」 最後まで言う前に、ヒュゼンの体が大きく宙を舞った。あわあわと震えるフランツをかばうようにしつつ、ネファンは距離をとる。 ぱたぱたと開いた右手を軽く振りながら、ガイルは腹部を押さえて悶絶しているヒュゼンを見下ろし、一言。 「遺言は?」 「ま、待ちやがれぇえ!? 俺が広めたわけじゃねーよっ!! つーか俺だって思わず耳を疑ったけど、実際お前の髪を見ればなんかああ本当なのかなーって思っちまったりしてさあああ!!」 「俺の髪が狂った色してんのは周知のことだろーがっ!!」 「いや、前に怪我したとき大部分が血で染まって赤くなってたって《ガレアン》が言ってたのを聞いたんだけどさ、全然赤みもなんもさしてないし、家で治療してる間にがっつり切ってぶわっと一気に伸びたのかと!!!」 「そ、れ、が、どーしてそんな噂につながんだあああああ!!!?」 「……昔から、いかがわしい想像や、行為を好むものの頭髪は、伸びるのが速いという……」 「ネファン、そんな根拠もなんも立証されてないような下らないことで、俺はそんな噂流されてんのか……?」 「つーかなんでそういうときにはお前口数多いんだよ!?」 ちょっと呆然としているガイル、そんな彼に踏みつけられてじたばたともがいているヒュゼンに、同情的な視線を向けるフランツ、ネファン。しばらく、なんともいえない沈黙が続いた。 五分後、それを破ったのは温かな食事の匂いと、元気いっぱいで可愛らしい少女ベリアの声だった。 「お兄ちゃんー! 皆さーん! お昼ご飯、一緒に食べよーう!!」 「ちょうど鍛錬が終わったところみたいですね。あら、ガイルさん、無茶をしてはいけませんよ」 軽快な足音を響かせて彼らに駆け寄る、桃色の髪の少女。その後ろから、大きなバスケットを二つ手に持った兄妹の母、カリナ=ハーデンが続く。 ……笑い合ったり、どつき合ったりしながら、カリナが持ってきた昼食を広げる彼らを、とある民家の煙突にとまっていた一羽の鳥が眺めていた。 それは、灰色の体に濁った黄色の一つ目という、とても不気味な鳥だった。 |