□ 第六巻 儚き夢の答え - 第三章 8.時計塔 薄暗いフィロットの町、うっすらと朝靄の浮かぶ中央広場に、ヴィンスは立っていた。ところどころに血のついた両手を眺め、それでそっと自身の両頬を挟んでうっとりとする。 「はあ……そろそろ、いいかしら? こんなに楽しいのはペルソナ様に出会って以来だわぁ」 ジャラジャラと腰のベルトにくくりつけたままの、先ほどまで使用していた棘つきチェーンクロスがやかましい。しかし、ヴィンスはそんなことなど気にも留めず、荒い息で腰をくねらせる。 「ああああもうっ我慢できないわっ、そろそろ意識も戻ってる頃だろうし、ふふふ、ガ・イ・ル・さ・まああああ〜っ!」 「申し訳ありません、ヴィンス様」 「何よ首飛ばすわよ?」 あっという間に、その血のように赤い瞳が向ける視線は絶対零度となる。まともにその目を見てしまった《葬黒部隊》の一人は、やや肩を震わせて報告する。 「東の地区にて住民を発見しました。現在カルヴォ班が追い込んでいます」 「とっとと捕まえなさいよ、追い込むとかそんな面倒な」 「いえ……その、向こうに厄介な魔法使いが紛れ込んでいまして、作業が難航を」 「もういい、言い訳はいいからとっととなさい。……あ、そうそう」 は、と短く返事をして、朝靄の中に溶け消えようとしていた部下は、ヴィンスのうっすらと笑みを浮かべた顔に、原始的な恐怖を植え付けられる。周囲で何やら作業をしている、《葬黒部隊》と異なるローブをまとった者達も、一瞬手を止めた。 「な、何か……?」 「その東地区で、脱走者が出たっていうのは、どうして報告されないのかしらぁ?」 空気が凍り付く。 「確か……女が二人。一人は一瞬見張りがゆるんだ瞬間に強行突破されて、その女以外にも監禁場所から十何人かの住民が逃げ出したとか。で、もう一方はまんまと薬盛られて、さっき眺めに行ったけど、今もひぃひぃ言ってたわねぇ。ずっと笑い続けてるらしいけどぉ、あの症状は他にも脳みその方にキテるわね」 すらすらと、微動だにしない部下に向けて右手を差し出しながら、ヴィンスは言葉を紡いでいく。彼を、完璧に叩きつぶす言葉を。 「でぇ、今の報告にあった追い込んでる住民って……その、逃げ出した住民ばっかりなんじゃないのぉ?」 「…………は、は」 「二度手間なんかかけてんじゃないわよ」 ひゅぱ 気の抜ける音とともに、部下の動作のすべてが止まった。そして、ごろりと彼の首と胴体が切り離される。遅れて、倒れる胴体のほうの首から勢いよく鮮血が吹き上がった。 血だまりを広げる部下の頭を遠くへ蹴り飛ばし、ヴィンスは胴体の方の、むき出しの切断面に五本の爪をたてる。ぐちゅ、と水っぽい音が響いた。 「ん、まあこいつも能力は高めだったから……あぁんガイル様の血だけでよかったっていうのに、まったく、死んでも汚いったら」 ぐちゅぐちゃくちゅっ、としばらく死体を引っかき回し、赤どころか黒くなった左手を持ち上げて、ヴィンスは近くの黒ローブを呼ぶ。 「ちょっと、解析はどの程度終わったの?」 「は、現時点での結果をご報告します……要はやはり、あの時計台。この広場を中心として、およそ半径二十キロの範囲が、地上の魔力、神力、霊力と異常な結びつきをみせております。しかし、支配はこの広場だけでも十分可能かと」 「ふぅん、やっぱり、妙な町ね」 先ほどまで黒ローブがしゃがみ込んでいた場所に近づき、ドロドロの左手を押しつけ地面に血の模様を描きながら、ヴィンスはより一層笑みを深めた。 城壁が崩落し、町の外で戦闘を行なっていた者達を捕縛、そのまま一気に魔族ともども町の中へ乗り込み、市街の破壊を行なっていたのだが、途中でそのペースが崩れた。……異常な事態が起こったのだ。 ダメージを受けていたとはいえ、あの兄妹の操るデルデオは、捨て身の突進で三件くらいは軽く家を吹き飛ばせていたというのに、ある場所から突然、建物どころか石畳一つ破壊できなくなってしまったのだ。デルデオのパワーが落ちたのではなく、異様なほど、町が強固になっていた。 「そのやたらめったらに頑丈な町の部分が、本当のフィロットなのかしらねぇ? 人口が増えたから、さらにその周りに普通の家を建て、城壁をつくった……ああ、もう、小難しいことはいいわ」 ヴィンスは小さく舌打ちをして、辺りをキョロキョロと見回す。先ほど憤りのままに蹴り飛ばしてしまった部下の頭を拾ってきて、首の切断面を強く地面に押しつけた。そのまま、生々しい音がするのも構わずに、より濃い血の模様を描く。 「とにかく、この辺りの石畳も削ったり出来ない以上、魔法陣は上塗りしていくしかないわね。ほぉら、最初はこいつの血、全部搾り取って使いなさい。無いよりはマシだから」 飽きたのか、ぽいっと部下の首を黒ローブに投げ渡して、ヴィンスは大きく伸びをする。 「はあ、早く陣に使えそうな力の強いヤツを選別しないと……せぇっかく作った《葬黒部隊》が無くなっちゃうわぁ。ま、いいけど」 手にこびりついた血液を振り払いながら、ヴィンスははたと我に返る。 「って、もう次の計測の時間よね!? うふふあはははっお待ちになっていらしてガイル様ぁあああああああっっっ!!!」 頬を桜色に染め、潤んだ目で叫びながら、ヴィンスは広場を駆け抜けていった。 そんな上司の奇行にもまったく動じないまま、黒ローブたちは淡々と自分たちに科せられた作業をこなしていた。 粘った水音が、鳴りやまない。 |