□ 第六巻 儚き夢の答え - 第四章 12.紅の陣 誰もが口を揃えて、自分が住んでいるときにはすでに町にあったと言う時計台。白いレンガで組まれたそれは、つい十何年か前に作られたかのような、まだ新しいといえる姿をしている。 その壁面を、べっとりと赤黒い液体が覆っていた。 「……うう」 「…………」 広場の惨劇を目にした三人のうち、ティルーナは青い顔で口をしっかりと押さえ込む。彼女の隣に立っていたステントラは、何も言わずに物陰へ移動させ、背中を叩いた。ガイルは一人、この光景に目を細める。 時計台を中心に、綺麗な円形となっている広場の石畳は、大量の血液で汚されていた。しかし、それには法則があるようで、見ようによっては魔法陣のように見えなくもない。そして、おそらくこれを描くための犠牲となった、首のない人間の死体が広場に繋がる通りの入り口に、無造作に投げ捨てられていた。半分ほどは、ヴィンスの配下だったろう黒服や黒ローブたち、残り半数は……。 「ああんっ、ちょうどよかったわぁあガイル様ぁああっ!!!」 声に歓喜の色を滲ませて、近くの家の屋根から人影が飛び降りてくる。両腕を肘の位置まで真っ赤に染め上げ、極上の笑みを浮かべるヴィンス。 「てめぇ……」 「つい先ほど、陣が完成したところですの。他の計測場所から連れてきた住人じゃあ少し足りなかったから、手駒を全て消費することになってしまいましたわぁ」 言葉のわりに、全く残念そうな雰囲気を出していないヴィンスの顔を見て、ガイルは無表情のまま吐き捨てる。 「悪趣味なド変態が」 「うふ、それは褒め言葉よねぇガイル様。でも意外……これを見たら、もーうちょっと熱い反応を返してくださるかと思ったのに」 ヴィンスは両手を大きく広げて、血の模様が描かれた広場の中心でくるりと回る。 「頭が冷えてきた。変態の下らん行動にいちいち青筋立ててたらキリがないってこともようやっと思い出せたしな」 まるで踊るように回り続けるヴィンスに向けて、ガイルは手にしていた剣を突きつける。ふおっ、と剣先で風が舞った。 遠距離からでも攻撃が出来る姿勢をとったガイルに対し、ヴィンスは静かに目を閉じる。紅い唇が、三日月のような弧を描く。 「余計な人間が二人ほどいるのが腹立たしいですけど、あなただけは、最初から許すつもりでしたのよぉ? さあ、見ててくださいな、ガイル様……」 そう言って、彼女の唇が高速で詠唱を開始した。それと同時に、魔法陣が不気味な光を宿し、周囲の空気が変質する。構えていたガイルは、以前にも感じた気配と似たものを感じ、ぞくりと肩を震わせる。 (あれは、あの女魔術師の悪あがきのときと―――っ!) 「ふざけるなッ!!!」 一瞬、あの闇を思い出しておののいたガイルを押しやって、魔法陣の中へステントラが飛び込んでいく。ふところから銀色に輝く回転式拳銃を取り出し、 銃口を下に向けた。 「っ」 魔法陣の領域内に何者かが入り込んだことを感じたヴィンスは、うすら笑いを浮かべてそれを見ていたが、その人物がヴィンスではなく魔法陣の方に意識を向けているのを知って、表情を強張らせる。 実はこの魔法陣、発動後からキーとなるのはヴィンスではなく、魔法陣そのものなのだ。今も詠唱を続けているように見せているのはフェイクで、彼女を攻撃しようとしてきた者を、事前に組み込んでおいた『術者保護』のシステムで無力化する……いわば、彼女という存在は魔法陣を維持するためのただのエサ。 しかし、それはあっさりと見破られていた。ステントラは、間違いなく魔法陣に何かを仕掛けようとしている。 (邪魔よ) そこからのヴィンスの行動は、しかし迅速だった。広げていた腕のうち、右腕をゆっくりと自分の胸の前へと滑らせる。そして、緩く開いていた手のひらをギュッと握りしめた。と、同時に、魔法陣を形成していた血液が細長い円錐状に伸び上がる。 「がっ……」 「ステントラっ!?」 腕、肩、腹、足と、様々な箇所を一気に貫かれたステントラは、その衝撃に息を止める。間一髪で、胸や頭といった急所を狙う攻撃は、避けきることが出来たのが救いか。しかし、持っていた銃は手ごと貫かれており、最早使用することはできそうにない。 ステントラを縫い止めた円錐は、役目を終えると一瞬でもとの魔法陣へと戻っていく。傷口から大量の血を溢れさせて倒れていくステントラを見て、ヴィンスは笑みを浮かべ、ガイルは目を見開いて言葉を失う。 そこで。 「甘い、つー、のっ」 パァンッ、と銃声が響いた。ヴィンスが驚きに固まるなか、薄れる光の中で倒れゆく男は、明らかに笑っていた。……その手に、一筋の煙を銃口からたなびかせて、先ほど持っていたものよりもやや古びた雰囲気のリボルバーを持って。 音を立ててステントラの体が血塗れの地面に倒れ込むのと、魔法陣から発されていた光が消えるのは、同時だった。 「ちぃっ」 盛大に舌打ちをしつつ、ヴィンスは魔法陣の構成をざっと確認する。 (銃声が一発、今ので一体何を破壊された? 魔法陣自体にほころびはない。特殊な力の付与? それとも……) 「よそ見とは、ずいぶん余裕があるもんだ」 そこで、彼女は目の前に愛しい男の姿を見つける。水色の瞳には憤怒と憎悪が渦巻いており、それがヴィンスの心をさらに燃え上がらせる。 「ああああああそんな目で、そんな嗜虐的な目で見られるとたまりませんわぁガイル様ぁあああっ! ひょっとして、今の男何かガイル様と縁深い人間でしたの?」 「黙れよ」 ガイルの表情は変わらない。風を纏わせた剣でヴィンスの体を狙い、時には体術で挑む。対するヴィンスは、それを短剣とワイヤーでいなしながら、恍惚とした表情を浮かべている。だがしかし、彼女はふとその顔に疑念の色を見せた。 「ガイル様……どうして、あれほど痛めつけたのに、まだ動けるのかしら?」 言って、ヴィンスの瞳に冷たいものが宿る。彼女は防御に使っていたワイヤーを軽く引くと、以前自身が傷つけた、ガイルにとってはどこよりも急所だと言える脇腹を狙った。 風を切る音と共に、ガイルの服が切り裂かれ、その下の皮も薄く線のような傷がつく……だが、そこに今まで加えてきた拷問その他諸々の傷跡は見られなかった。 「腕の良い僧侶がいたんで、なっ」 驚き、僅かに手を止めたヴィンスの隙を逃すはずもなく、ガイルはかまいたちを発生させながらさらに詰め寄る。 と、そこで彼女の表情が歪んだ。 「僧侶っていうのはぁ、あの子、のことよね」 いつの間にか、柄の先端にワイヤーをくくりつけられていた一本の短剣が、ガイルの頬をかすめて後方へ飛んでいく。流し目でそちらを見て、ガイルは思わず叫んだ。血の海に沈む同居人を前に、金色の光を流し込みながら座り込んでいる少女へ。 「逃げろティルーナ……っ」 「ふえっ」 「うふ」 それでも、ガイルの叫びは確かな結果を招いた。治癒に専念していたティルーナは、間一髪の所で自分めがけて来る短剣に気づき、とっさに身を捻った。それでも頭を狙った一撃が二の腕を貫通したということに、代わりはなかったが。 短い悲鳴を上げて倒れるティルーナのそばで、倒れたままのステントラがびくりと震える。 そして、今までにない隙を相手に見せてしまったガイルは、肉をも切断するワイヤーに絡め取られ、地面に叩きつけられていた。魔法の類を封じる術式でも刻まれているのか、持っている剣から風が吹き出ることもない。 「うふ、うふふふふ、さあガイル様、もう一度……もう一度見ていてくださいな。今度こそ、封じられた《聖鋼石》を……」 「そりゃ無理じゃな」 唐突に紛れ込んだ、老人の声。ヴィンスは怪訝な顔をしてそちらを見やり、ガイルはなんとか首を捻って、彼の姿を確認した。 「じーさん?」 「ほっほっ、なんじゃ若人、さっきちゃんと出してやったとゆうのに、また捕まっとるのか。不甲斐ないのう」 長い杖を肩にかけて笑う老人は、確かに《ガレアン》支部の地下練兵場に捕まっていた人間達を解放してくれた、その人だった。 |