STRANGE - カゲナシ*横町



S T R A N G E




□ 僕らの小さな旅路 - 2)熱烈勧誘?
 カァンッ!
 乾いた、物のぶつかり合う音が響く。
 それに続くように。

「でぇっ」

 鎧の中でも軽い部類のものを装備した少年が、剣の形を模した木の棒を振りかぶる。彼の正面にいた細身の男は、無表情のままに少年と同じ木の棒を、
 ぽい
 投げた。

「っ!?」
「……隙」

 ぼそ、とつぶやくなり男は、集中が途切れ狙いがぶれた少年の一撃を難なくかわした。その上、突っ込んできた勢いを利用して足を引っかける。

「ぅわっ!」

 少年はグワッシャーン! と派手な音を立てながら豪快に転んだ。ヒュン、と木の棒が宙を舞う。
 くるくると回転していったそれは、すぽりと男の手の中に。

「……相手の行動に、驚くな。……今のは、俺が不利になる。……得物を、捨てたから」
「はーい」

 少年、フランツは鼻の頭を押さえながら、ゆっくりと立ち上がった。そして、目の前に立っている男を見上げる。
 男の名は、ネファン。

「……そろそろ」
「あ、お昼ご飯ですね。それじゃあ母さんに頼んできます」
「……悪い」
「いいんですよ。僕の稽古に付き合ってくれてるんですから」

 フランツはにっこり笑いながら、兜をとった。少し癖のある茶色の髪は、汗でペタリと頭皮に張り付いた状態になっていた。
 うへぇ、とつぶやきつつ、フランツは自分の棒とネファンの棒を抱えると、すぐそばにあった家の裏口へ飛び込んでいった。ネファンはあとを追わず、その場に突っ立っている。
 ガシャカラン、という音が聞こえてきたかと思うと、普段着に着替えたフランツが外に出てきた。

「それじゃ、お昼を食べて休憩したら、もう一回やってくれますか?」
「……ああ」

 ネファンはぶっきらぼうにつぶやくと、ちらりとフランツの顔を見た。
 フランツがさっきまで押さえてた鼻の頭は、ほんのり赤みがかっていた。

「…………悪い」
「は?」
「……鼻」
「あ、これくらいなら全然。問題なしです。ちゃんと鼻、利きますよ」

 そう言って、フランツはすんすんと鼻を鳴らしてみる。
 ネファンは何も言わなかったが、雰囲気から、安心したのが伺えた。

(……今日の訓練はいつもよりしゃべってくれたなぁ。ネファンさん)

 トコトコと自分の家へ向かって歩きつつ、フランツはそっとネファンを見上げた。
 見ている方がうっとうしく感じるほど半端に伸びた黒髪に、うっすら赤みがかった茶色の瞳。その眉や、目や、頬が感情に合わせて動いた瞬間を、フランツは今までほとんど見たことがない。いや、それはフランツだけではなく、このフィロットの住民たちすべてに言えることだった。
 じーっと見上げてくるフランツの視線に気づいたネファンは、頭を動かさないまま目だけで「なんだ」と聞いてくる。
 フランツは慌てて首を横に振り、前を向いた。
 もう目の前にあるフランツの家。

 宿屋『K&B 〜カリナ&ベリア〜』

 フランツはこの宿の名前を見る度に頭が痛くなる。なぜなら、カリナもベリアも己の母と妹の名前だからだ。
 特に住民たちは気にもしないが、フランツの心情として

(どんな目立ちたがり屋だよ)

 という感じなのである。毎度のことながら看板を見て小さくため息をつき、フランツはやや乱暴に入り口のドアノブに手をかけた。
 だが、ノブをひねってドアを完全に開ける前に、ネファンによってがっちりと手首を掴まれた。かなり痛い。というかみるみる手先のほうが紫になっていって、確実に血が通っていないことが分かる。

「ってネファンさん僕の手がフガ」
「……ちっ」

 もう片方の手でフランツの口元を押さえたネファンは、珍しい、本当に珍しい、苛立ちの表情を浮かべていた。それはもうストレートに。眉根を軽く寄せ、目を細め、口元は歯ぎしりをするかのように小さく歪んでいる。

(あれ? えーっと、この感じは)

 フランツは、覚えがあった。彼がこんなふうに表情を浮かべているときは、大抵『あそこ』の人間が絡んできている。フランツ自身も、『あそこ』とネファンの間に起こるゴタゴタに何度か巻き込まれたことがあるのだが。
 まっさかなーこんな時期にやってくるわけがー、と引きつった笑みを浮かべていたフランツの現実逃避きぼうは、あっさりと打ち砕かれた。

 バン!! バン!! ドバン!!

 宿屋『K&B』の窓やら裏口やら屋根の上やらから、黒い制服の人間が幾人も姿を現したのだ。金色の縁取りに、左肩部分に縫いつけられたシンボル『砂時計』・・・・間違えようもない。

「《ガレアン》もとい『ネファンさんストーカー軍団』!!?」
「その言い方は止めようフランツくん!! 俺たちだって決してこんな横暴な手段に出たくはない!!」

 ネファンの手を振り払って叫んだフランツに、年かさのガレアン隊員が慌てた様子で言い返した。彼を先頭に、他の隊員たちも誰一人として武器を構えているものはいない。だが、ネファンの全身から放たれる殺気がゆるむことはなかった。

「帰れ」
「いやあのネファンさん、本当にお願いします自分たちじゃ止められないんですよ!! ほらもう自分たち隊員一人につき十枚ずつ、こんなもの押しつけられてるんです!! ていうかむしろあの鬼畜副リーダーたちあなた自身で闇討ちして来てくれませんか!!?」

 隊員の訴えは、最後の方むしろ懇願というか土下座しそうな勢いだった。他の隊員たちも、同じような表情を浮かべてジャケットの裏から恐る恐る、紙束を取り出していく。
 そこに書かれていたのは、『入隊推薦書』。
 フランツは一瞬羨ましそうな表情を浮かべるが、すぐに打ち消した。実力を認められた人間がガレアンの幹部たちに指名され、同意を得られればその場で即、正式隊員になれるという、ガレアンを目指す人間にとっては喉から手が出るほど欲しい推薦書。
 その推薦書には、すでにこのフィロット地区ガレアン支部の幹部……この町の人間で知らない者はいないとされる、有名人三人の署名がすでになされていた。そして、彼らが推薦する人物の名前も明記されており、残る欄は、本人の同意を表す署名、血判である。

『推薦
 フィロット地区『ガレアン』支部リーダー・フェラード=レーベー
 同じく副リーダー・レイド=デュアー
 同じく副リーダー・カッティオ=クレイグ
 以上三名より、ネファン=デア(剣士)を《ガレアン》正式隊員として推薦する』

「もう、もう何年逃げ続けていらっしゃるんですかああ!! いっそここらへんで折れておきませんか!?」
「……………ぅ」
「『断る。それに署名し血判を押したが最後、俺は完全にヤツの尻ぬぐい要員確定だろう』……だそうで」
「色ボケ副リーダーを止めてくれるというか、止められる人間は多いほど下っ端は助かるんです本当にお願いしますよー!!! というかこんなふうに自分たちが使いっ走りにされることも無くしてくれると助かります」
「…………」
「ものすごい冷めた目で見られたー!!? 冷めたというか、最早絶対零度!!」
「『人身御供になるぐらいなら、貴様ら全員道連れにして阿鼻叫喚の色ボケ地獄に叩き落とす』ですって」
「フランツくんネファンさんの無表情翻訳ドウモアリガトウ。だけど一つ言わせてもらおう。色ボケ地獄になら大抵のヲトコは喜んで身を投げ出す!!」
「そこで断言するなそして周りも頷いてんじゃねえよ!!」

 フランツは周囲を取り囲んでいる隊員たちを一瞥し、ネファンと背中合わせになって歯を食いしばる。

(馬鹿話に気を取られていたけど、さすがは変人であればあるほど実力を持つ《ガレアン》精鋭のメンバーたちだ……って、ヤバイ僕こんなところにいたら確実に巻き込まれんじゃん!?)

 しかも、普段は身につけている防具の類も、食事がてらに休憩しようと思ったゆえ先ほど倉庫に放り込んだばかりだ。しかも体力だってまだまともに回復してはいない。これでは不必要に、ネファンの鍛練の時以上の怪我を負ってしまう。
 と、背後でネファンが動いた気配がした。周囲の隊員たちが、一歩後ずさるのがほぼ同時に。

「え?」

 そこで、フランツの視界が回った。気がつけば、目の前にはふわふわとした薄い雲がかかっている青空が。そして、茫然とするフランツの耳元で、聞き慣れた金属音が響いてきた。

「っぎゃ―――――ッッ!!? ネファンさんちょ、まっ」

 あれ、ひょっとして僕ネファンさんに抱えられてる? とフランツが現状を把握していると、隊員達が顔を青くしてそれぞれの得物を構えて叫び始めた。そのうち、年かさな隊員の一人が右手にメイス、左手に推薦書を鷲づかみにして、鬼のような形相でこちらに特攻を仕掛けてきた。

「ネファン殿ぉおおおおおお!!! 本日ですべて、すべて終わらせましょうぞぉおおおおお!!!」

 片腕で振るわれたとは思えない、すさまじい威力が込められたメイスの一撃がネファンを狙う。
 だが、ネファンは欠片も表情を変えず、片手でフランツを抱え上げたまま、背中にくくりつけている鍛練中には柄にすら触ることをしなかった愛剣を抜きはなった。ジャガッ、とフランツの身の丈ほどもある刀身が、彼の細腕一本で支えられる。
 そして、あろうことかネファンは振り下ろされたメイスを、片手持ちの大剣で下から受け止めるという超人ばりな芸当をして見せた。隊員が目を見開き、息を呑んでいる間に、あっさりとメイスの衝撃を受け流す。

「……すっげー……あんな剣、普通持つのも一苦労ッスよねえ」

 思わず、といった風に、フランツより五歳ほど年上に見える青年隊員がポロッと呟いた。彼の顔を見て、フランツは『他の町から来たばかりの新人さんかな?』と見当を付ける。……この程度が、ネファンの実力ではないのだ。
 年かさの隊員をやり過ごしたネファンは、大剣を構え直すと姿勢を低くした。いつも通りの無表情になっているネファンに、フランツは小声で訴える。

「あのネファンさん、僕もうこんな風に抱えられる年齢じゃありませんから、自力で逃げられますだから下ろして」
「…………」

 ちら。ぱちり。ふいっ。

(目があって、瞬きされて、視線そらされた……っ)

 今の仕草が意味するところは、今の状況を鑑みるに……。
 『とりあえず黙っていろ』。

「なっ何する気ですかネぶっ!?」

 珍しい命令形に戸惑ったフランツは、慌ててネファンの服の胸元を掴んで引っ張る。だが、それは逆に幸運だったのかもしれない。叫んだことで舌は噛んだが、そのまま放り出される心配は格段に減ったのだから。
 ネファンは、低い姿勢のままで剣を前に、しかも刀身を水平に構えると、一気に地面を蹴って加速した。とても人間サイズの大剣と、小柄とはいえ十七歳(!)の少年を抱えているとは思えない俊敏さであった。
 そして、彼の計算された突進は、行く手を阻む隊員達をあっさりと蹴散らしてしまう。

「どぶふぉっ!?」
「さっさすがネファンどごぉっ!!!」
「マジ来てくださいよぉおおっ!?」

 間合いに入ってきた者を容赦なく叩き出し、ネファンは構わず疾走する。やがて、土煙を巻き上げながら彼の姿が消え、残された隊員達のうち、すでにこの指令を何度も上司に言い渡されている経験者組が、軒並み膝をついた。

「また、またしても……っ!」
「俺、リーダーに直で報告しよ……ぜってぇあの色ボケ副リーダーには通さねぇ。死ぬ。マジ死ぬ」
「カッティオさんのところは現場出られなくなるからな……ああ、書類の雪崩こんにちは!」

 すでに一部の人間は幻覚を見始めている。このあとどんな修羅場が待っているのか、と新人隊員たちは思わず全身を震わせた。



◆   ◇   ◆   ◇   ◆   ◇   ◆



「ね、ネバンざん……ぞろぞろやばひれふ……」

 口元を押さえながら、青い顔でフランツが呟く。包囲網を突っ切ったあと、器用に大剣を鞘に収めたネファンのスピードはさらに上がり、フランツは半ば自分が風になったのではと感じていた。だが、しっかり上下左右に揺れまくるので、この状態である。
 ネファンは町と外を隔てる城門の辺りに辿り着くと、無表情さの中にわずかばかりのすまなさを滲ませて、ゆっくりとフランツの体を下ろしてやった。そのまましゃがみ込んでしまうフランツの背中をさすってやりながら、キョロキョロと辺りを見回す。

「やあ、ネファンにフランツじゃないのさ。こんなところで鍛練かい?」

 と、そこで普段より露出も装飾も少ない服装をしたアデレーナが通りかかった。市場に行ってきたのか、手に食材が入った紙袋を二つほど抱えている。

「…………」
「……ネファン、何か言いたいことがあるらしいのはあたしでも分かるんだけどね。さすがに細かいことまでは読み取れないんだよ」

 じ―――――っ、と熱のない目で見つめられ、ストーカーじみた某色ボケ男に見られるのとはまた別の居心地の悪さを感じたアデレーナは、ふいっと目を逸らしてしまう。そこで、なんとか復活したフランツがネファンの顔をのぞき込んだ。

「……頼み事があるんですか? アデレーナさんに?」
「改めて思うけど、よくお前さんはその鉄面皮からそんなことが分かるもんだね。……で、頼み事なんて珍しいじゃないか、ネファン」

 アデレーナは紙袋を抱え直すと、軽い足取りで二人に近づいてきた。ネファンは相変わらず無言だが、たまに、微妙に、ごく僅かに目元や口角が震える。

「ええっと……『今現在、またあの馬鹿共に追い回されて困っている。あの人数ではまたしばらくこの町を騒がせることになりそうだから、一旦どこか別の場所へ隠れたい。俺のツテは今どうなっているか、少し不安だから、お前かネーリッヒに頼みたい』……だそうです」
「フランツ、もしそれが完璧にあっているとしたらあたしゃ奇跡だと敬うよ。ていうか本当なのかい? 誰だい、そのあんたを追い回す馬鹿共……あ」

 言いかけて、アデレーナは自分で察した。ネファンは口数が異様に少ないことを除けば、性格、実力においてこの町の基準では文句なしである。おまけに、あまり知られてはいないが、彼自身戦闘ばかりに技能が突出しているわけではなく博識でもある。要領さえ分かればデスクワークだってこなせるオールマイティーな人材になるだろう。
 そういう人物を、この町の治安部隊は欲している。『常識』を持った真面目なイケニエを。

「…………………よくまあ逃げてるもんさね。フランツ、あんた巻き込まれたんだね?」
「ごもっともで」
「…………」

 同情の目で見られ、項垂れるフランツの頭に、ネファンの大きな手が載せられる。「あの、僕もう十七なんですけど」という彼の抗議も無視して、しばらくそのままの体勢でいる。その光景が、まるで父と子のようで、アデレーナは微笑を浮かべた。

「ま、そういうことなら、ね。あんたの頼みくらいなら聞いてやるさね。……さて、だがそういうのはやっぱりネーリッヒを介した方が楽なんだがねぇ……」
「げ、やっぱり、あの人に会いに行かなきゃ駄目ですか?」
「諦めな。あ、そうだ、いい口実がある!」

 首をかしげるフランツと、直立不動でアデレーナを見下ろしているネファンに、それぞれ自分が持っていた紙袋を押しつけると、アデレーナはショールを翻して細い路地へと突き進んでいった。

「あ、アデレーナさん?」
「フランツ、あんたもおいでな。二人揃って頼み事だよ。なに、カリナにはあたしからちゃーんと伝えておくさ。ほら、あたしの店に来な!」
「ちょっと、アデレーナさんってば!」

 なにやら軽い足取りで路地を歩いていくアデレーナの後ろ姿に、なにやら不穏なものを感じつつも、フランツは何も言わないネファンと共に彼女を追いかけていった。