□ 僕らの小さな旅路 - 3)《水の使者》 手綱を握りながら、フランツはまた盛大な溜息をついた。と、軽く肩を叩かれてハッとすると、進路が少しずれている。慌てて、馬たちの進行方向を調節した。 「すいません、ネファンさん……ってか、アデレーナさんもホント準備いいよな……」 そう言って、彼は自分の格好を見下ろす。物置にしまってきたはずの、使い慣れた肩当てや鎖帷子などの防具たち。アデレーナの店の前でぐーすかと居眠りをしていたケゼンが、彼女に蹴飛ばされて特急で持ってきてくれたものだった。 フランツとネファンの二人は、アデレーナとネーリッヒそれぞれから依頼を受けて、こっそりとフィロットを抜け出し、工芸品の町シェンズへと向かっていた。アデレーナからは、良質な酒をいくつかと店内のインテリアにする硝子細工。ネーリッヒからは知り合いへの届け物を数点預かってきていた。 以下回想。 「まあ、本当はステントラの野郎にでもふんじばって押しつけようと思ってたんだがね……あんたたちなら、あたしらが預けた金で勝手なこともしないだろうしね。頼んだよ」 「ステントラさん自殺願望でもあるんですか……」 フィロットの町でも有名な女傑方から預かった金で何をしているんだか、とココロの中でつぶやきつつ、フランツは小さな革袋を受け取り―――。 「ってぇ、それネファンさんに頼むんですよね!? なんで僕がお金を受け取りかけてんだ!?」 「ネファン一人で行って、頼まれごと全部手早くできるとはちょっとばかし思いづらいんでねぇ。保険さ保険。あいつの表情翻訳機として行ってきな」 「翻訳機って!!」 「なかなか町の外に出られない中、いい機会じゃあないか。近くの村にでも寄れば、寝泊まりの心配はないだろうけどね、あえて野宿を経験させてもらうってのもいいんじゃないかい? ネファンのヤツ、もとは傭兵だったんだろう。実地訓練さね」 「…………」 以上、回想終了。そんなこんなで、フランツもネファンと一緒に行くことになったのである。 そして、今日はフィロットの町を出た翌日である。 「……」 「どうしました?」 と、後ろから荷物番をしていたネファンがぬっと顔をのぞかせた。静かに手綱を指さした彼を見て、フランツは何も言わずに彼へ手綱を引き渡す。そのまま、ネファンが座っていた場所へと移動した。 そっくり場所を入れ替えたあと、ネファンはしっかと手綱を握りしめ、数度強く叩いた。みるみるうちに馬車は速度を上げていき、大きく揺れ動く。 「おっおおおおおおっ!?」 舌をかまないようにとしっかり歯を食いしばり、柵のあたりに捕まっていたフランツは、しばらくして吹き付ける風の向こうに青い屋根の建物が並ぶ光景を見る。 王都ビサクとよく並べてたたえられる、通称《蒼の町》。 「わあっ……」 数々の工芸品が生み出されるその芸術の町に、フランツはすっかり眼を奪われてしまった。もとより、フィロットに生まれてからほとんど町の外へ出たことのない彼である。城壁を越えたとて、目的地はほぼトールの森で間違いない。 感嘆のため息をつくフランツを横目に、ネファンはわずかに目元を和ませた。そして少しずつ、馬車の速度をゆるめていった。 「開門、かいもーん!!!」 門番が声を張り上げ、ゆっくりと城門が外側へと開かれていく。この時を待っていた商人達や旅人は、ぞろぞろと移動を始めた。簡単な手続きをして、中へと通されていく。 「おっ……あんたら、フィロットから来たって?」 ネファンが取り出した通行証(《ガレアン》フィロット支部発行)を見て、薄く削られた水晶の解析器に通していた審査員が驚きをあらわにする。フィロットの名を聞いて、他の審査員や旅人たちまでこちらに注目する始末である。 「ほー、あの《変人の町》からよく……ま、深くは詮索しないっと。あの町に関しちゃなー」 「は、はあ」 「にしても、二人とも変人ってふうには見えんがねぇ」 審査員は通行証をネファンに返しながら、苦笑を浮かべてフランツを見下ろす。あの町でもかなりまともな部類に入るということは、自身も思っているし周囲からも認められているフランツは、しかしなんだかあの町に似合わないと言われているようで、釈然としない気持ちになる。 と、またしてもネファンの大きな手が、フランツの頭に乗った。どうにも、置き所がちょうどいいらしい。そのまま書類記入だけネファン、口頭での受け答えはフランツが行って、それほど時間をかけずに二人も町の中へ入ることができた。 「……にしても、あんなにしっかりとした審査をしていくなんて、やっぱり第二の首都ですね」 「…………」 「え、普通はある程度大きな町ならあれぐらいするんですか? でも僕、たまに来る旅人さんの通行証拝見したりとか、してませんよ」 「…………」 「……ああ、《ガレアン》や町の人たち全員が審査員、ですか……そうですね、大抵の人は何事かあってもなんとか乗り切れますもんね」 また一つ、フィロットと他の町との違いを見つけて、自分の世界の狭さを実感したフランツであった。 のんびりとした速度で、人通りの多い広場を抜けて、フランツ達はまずネーリッヒの届け物相手である家族の家を探した。教えられたとおりの路地を抜け、家々の表札を眺めていく。 「にしても、ネーリッヒさんの血縁の方がこんな近くにいるなんて思いませんでしたよ」 ぽつりとこぼして、フランツは手元のメモに視線を落とす。そこには、今し方通ってきた路地の名前や目印になるものの最後に、『アーデル=アボット』という名前が書かれていた。 「……養子」 「え? ああ、実際の血のつながりはないんですか。ていうかよく知ってますねネファンさん」 ここは聞くべきか、止めるべきかとしばし悩んだフランツの思考は、次の瞬間響き渡った怒声によって真っ白になる。 「え、え!?」 「フランツ」 名を呼んで、ネファンは手綱をフランツに預けると、愛剣を抱えて馬車から飛び降りた。本当にあっという間に駆けていってしまい、瞬きをする頃にはすっかり姿を見失ってしまった。 「えええちょ、ネファンさん!? ああもう……っ」 もし荒事であっても、ネファンならばよほど相手が多勢で無い限り負けることはないだろうと考えて、フランツはアボットの家を探す。すると、だんだんと騒ぎとなっている方に近づいているようで、怒声がさらにはっきりと聞こえてくるようになる。 こういう流れは、なんとなく勘で分かるもの。フランツの頬を一筋の汗がつたっていく。 (ま、さ、か) ゆるいカーブの前で馬車を止めると、フランツは近くの街灯に手綱をくくりつけ、腰の剣に手を置いたままゆっくりとカーブの向こう側をのぞいてみた。 カーブの向こうには今までの家よりも少しばかり敷地の広い家が建っており、綺麗に整えられた庭の芝が陽光を反射してきらめいている。が、そこに一人の男と彼を守るようにして立つネファン、二人を取り囲むようにしている薄水色の外套をすっぽりと被った人間十人ほどの姿があった。 (あああここがアーデルさんのお家だ厄介ごとだああああああ) フランツが心の中で叫んでいると、薄水色の外套を着た人物の中で、金と銀の飾り紐を首元に垂らしているリーダー格の者が、軽く頭を下げながら告げた。 「では、アーデル殿。あなたが蒼き神子様の元を訪れ、我らが同胞となることを、信じてお待ちしておりますよ……」 その言葉を聞いて、ネファンの後ろにいた男、アーデルはとても嫌そうな顔をして、首をゆっくり左右に振った。次いで、外套たちのさざなみのような小さな笑い声が、周囲に響く。と、次の瞬間外套たちの姿が、泡のようなものに包まれてすっかり消えてしまった。 ネファンは両手で顔を覆うアーデルの肩を軽く叩きながら、素早く振り返ってフランツがのぞき見をしていたカーブの方をしっかりと見つめた。最初からばれてたな、と思いつつ、フランツは馬車を引きながら姿を現す。 「今の、一体なんなんですか……」 「君は……?」 ネファンに手招きされるままに家の庭へ入ってきたフランツは、外套たちが立っていたあたりをじろじろと見ながらため息をつく。と、新たな人物の登場に不審げな色を隠そうともしないアーデルと向き合って、フランツは頭を下げた。 「僕はフランツ=ハーデンと申します。フィロットの町より、ネーリッヒ=アボットさんから届け物をしにきました。彼も同じく町の住民で、」 「ああ、彼のことは知っているよ……いや、すまない。最近どうにも人間不信が続いていてね……そうか。母さんから届け物か」 アーデルは大きく息を吐くと、少しクマの残る目元を和らげて、穏やかな笑みを浮かべた。 「ネファンさんも、フランツくんも、どうぞ家へ。馬車はこちらに置いてもらえるかな」 アーデルにうながされ、フランツは馬を引いていく。適当な場所に手綱を固定してもらってから、ネファンともどもアーデルの家の中へと入っていった。 「あなた……」 入った瞬間、ロングスカートの裾をがっちりと握りしめ、全身を震わせている女性が三人を出迎えた。女性はネファンとフランツの姿を見て、「ひっ」と悲鳴を上げかける。アーデルは慌てて駆け寄ると、かのじょが恐慌状態に陥りそうになったところで強く抱きしめた。 「ロイス! 大丈夫……彼は私の友人だ。私の母からね、届け物をしにきてくれた人なんだよ」 「あ、あなたの……お友達?」 「そうだ、なあ、ネファンさん」 そう言って振り返ったアーデルとロイスに向けて、ネファンは軽く目を伏せながら頭を下げた。フィロットの町でもよく目つきが恐いと言われていたのを考えての対応である。 「そして、そちらは初めてお会いするんだが、フランツくんだったね」 「あ、はい、初めまして。今回ネファンさんについてきました。剣士見習いです」 そう言って、フランツも軽く頭を下げる。そこでようやくロイスも落ち着いてきたのか、何度か深呼吸を繰り返して、ぎこちない笑みを浮かべた。 「お二人とも、取り乱してしまって、申し訳なかったわね……この人がいうなら、大丈夫なんでしょう。さ、あがっていって……まだこの町には来たばかり?」 「え、ええ、今日の昼過ぎに到着したばかりですけど」 「なら、説明もした方がいいな。フィロットは一部閉鎖気味だから、こちらの情報もあまり伝わっていないだろう」 「…………」 「あの外套の集団のことか、だそうです。あの人達、いったい何なんですか?」 ネファンの顔をちらりと見上げて、素早く彼が何を言いたいのかを翻訳したフランツを見て、アーデルは思わずあっけにとられる。しかし、すぐに我に返ると、ゆっくりと一度頷いた。 「今シェンズは、町長側とあいつら……《水の使者》の対立が起こってる。市民は大体傍観と《水の使者》側に入団するかの二手に分かれていて……まあ、詳しい話は中で」 そのまま家の中へと歩いて行ってしまった二人の背を眺めた後、ネファンとフランツは互いの顔を見合わせ、軽く首をかしげた。 《水の使者》。 薄水色の外套をまとう彼らが現れたのは、何ヶ月か前にシェンズを襲撃してきた盗賊団たちからの被害が回復してきた、ちょうどそのときだったという。彼らは唐突に現れ、そして彼らが敬う教祖とも言える存在……《蒼の神子》について布教して回ったのだ。盗賊被害で家々を壊されるなど、財産の多くを失った人々の心の隙間をうまく狙って、彼らは着実に信者を増やしていった。 しばらくすると、被害もそれほど出ておらず特別新しい宗教を信仰しようなどと思わない人間だけになってきた。そこで、《水の使者》の司祭達はこう言って回ったのだ。 『この町がよくよく天災人災に見舞われるのは、工芸品を作る際、水に対する感謝の念が足りないからです。《蒼の神子》様におすがりすれば、この町はよりよく発展することになるでしょう』 人々はこれを一笑に付した。どうしてよそ者、新参者である彼らにそんなことまで言われねばならないのか、と……。しかし、数日後事態は一変する。 水の祟り、という奇っ怪な事件が頻繁に起こるようになったのだ。 「水の祟り、ですか……具体的には、どんな被害なんです?」 「え、ええ……それは……」 フランツの問いかけに、ロイスは恐ろしげに顔を両手で覆って、肩を震わせながら答えた。 「日常で使う水という水が、赤茶けた泥水になってしまって……っ」 「何それどんな嫌がらせぇえええええっっっ!!!?」 ガッタンッ!!! とすさまじい勢いで立ち上がり、フランツは本能のままに叫んでしまう。それから、また完全に脅えモードに入ってしまったロイスを見て平謝りすることになってしまった。 「……続きを」 「え、ああ、あとは……雨が降った後、家の外壁が少しずつ溶けてきたりだとか、井戸の中に大量の砂が紛れてたりとか、畑が荒らされてたりとか……」 「あの、それ明らかに嫌がらせ以外の何物でもないし、ってか最終的に水関係ないしっ!?」 今度は机をバンバンと叩く。その度にまたロイスが肩を震わせるのだが、さすがにネファンも彼の反応を止めはしなかった。というか、まったく同感だった。 「ええ、いやがらせ、と言ってしまえばそれまでなのですが……それらの行為が、《水の使者》に属していない人間が一人でもいる家や店、とにかくシェンズの町全体で発生して……今挙げたことはほんの一部なんです。一週間も経たずに、一般市民はほぼ全ての人間がその組織に入団していきました」 「…………」 「はあ……あ、えっと、あなたはなぜ、まだ抵抗しているのですか、と、ネファンさんが」 「あんなあからさまに怪しい組織、関わり合いになりたいと誰が思いますか。馬鹿馬鹿しい。おまけに、熱心だった者の一部が、そのまま行方知れずになったりもしているんですよ」 そう言い捨てて、アーデルはにやりとした笑みを浮かべる。その表情は、血がつながっていないという森番の老婆がよく浮かべるものに、酷く似ていて、フランツは思わず笑い返してしまった。 「あー、アーデルさん、根性あるんですね……むしろフィロット向きですよその性格。まあ、ロイスさんはそろそろ限界のようですけれど」 「もともと、こういうストレスに弱い質だったので。いや、攻めているわけじゃない、気に病むな」 すっかり落ち込んだ様子でうつむいてしまったロイスの肩をしっかりと抱えながら、アーデルは優しくささやく。そんな夫婦の様子を見て、しばらくなにやら思案顔(無表情ではあったが)をしていたネファンは、唐突に立ち上がった。 「ネファンさん?」 フランツが声をかけると、そのまま部屋を出て行こうとしたネファンは振り返り、目だけで彼に語りかける。その内容を読み取ったフランツは、「げ」と頬を引きつらせた。 「えー……ここで騒ぎ起こしちゃ、まずいんじゃないですか……?」 「騒ぎ?」 思わずフランツがこぼした台詞に、アーデルが敏感に反応する。フランツはしばらくうなっていたが、苦笑を浮かべてネファンの言葉を訳す。 「ここで何もせずにフィロットに帰れば、ネーリッヒはおろか他の住民たちにも腰抜け呼ばわりされてしまう。それは我慢ならない。どこまでいけるかは分からないが、この町の中だけで、しかも信者達だって好きこのんで入団したわけではない者が多いなら、どうにかできるだろう……とのことです。あと、《水の使者》っていう組織名にも、覚えがあるようで……」 「………………は?」 目の前で着々と準備をしつつ、表情と言葉でそれぞれ会話を成立させている二人の『変人』を前にして、アーデルは言葉を失う。その隣で、フランツの言葉を聞いていたロイスは、ゆっくりと顔を上げると二人に尋ねた。 「あの……この町の、《ガレアン》の方々も、どうすることもできない状況を……お二人が、どうやって?」 「ネファンさん、どうするんです?」 「…………」 背中から下ろしていた自身の大剣を眺めていたネファンは、ちらりとロイスの方に視線を向けると、軽く息を吐いてそのまま部屋を出て行ってしまった。一気に不安そうな表情を浮かべるロイスに、フランツがまたも翻訳内容を話す。 「情報を集めて、とりあえずその妙ないやがらせのタネを暴いてくる……ついでになんとかなりそうだったら、他のこともいろいろするそうで……いや、もうネファンさん珍しくやる気だなぁ。傭兵の血が騒ぐとか……? でも、ネファンさんに限ってな」 と、そこで家の外からカンカン! と金属同士をぶつける音が響いてきた。ロイスを抱きしめて窓を睨みつけるアーデルの隣で、フランツが硬直した。 「な、え、僕も行くっていうんですかああああああっっっ!!?」 カン、とフランツの叫びを肯定するように、もう一度、金属音が鳴り響いた。 |